先日某大学の受験生によるネットカンニングの事件が大きくクローズアップされました。インターネットを利用したもので、時代の流れを象徴しているような事件です。ここまで騒ぐ必要があったのかという意見もありましたが、立場が異なれば見方が異なり、いろいろな意見があります。そのことについてはここではふれないことにします。

 別の側面として、以前から気になっていたことをあらためて感じる事件でした。それは情報収集が以前と比較するとはるかに容易で手軽(コストも)になり、その結果として知識や情報を個人で所有する必然性が薄れてきているということです。自分の手元または頭の中に情報を蓄積しておかなくてもネットを使えば手軽に入手できるようになったのです。このことは便利である反面、危険な落とし穴、副作用があると思います。
 私自身、仕事でインターネットを常用しています。仕事柄、技術用語の確認が頻繁に必要になりますが、オンラインの辞書や百科事典を使用したり、出現頻度を知るために検索したりします。以前なら分厚い本を繰ったり、図書館で調べたりしたことがインターネットで短時間で調べることが可能になりました。極論すれば、頭の中は空っぽでも情報収集能力と編集能力に長けていれば仕事ができる時代になったといえます。情報の信頼性に注意しなくてはならない面はありますが、ネット上には無償で利用できる情報があふれています。無報酬で情報を提供する人がたくさんいることはそれ自体興味深いことですがそれもインターネットの特徴の一つです。
 最近の大学生はレポートを作成する際にインターネット上にある他人の論文などをコピー&ペーストして提出することがあるそうです。ほとんどは不正行為だと自覚しつつそうしていると思いますが、もしかしたら、課題を調査してレポートにまとめるということと、他人の書いた論文をコピーするという行為の線引きがあいまいになっている人もいるかもしれません。

 写真の世界に目を向けてみますと、2009年に発覚した天体写真盗作問題が記憶に新しいです。この事件は今回のカンニング事件と類似性があるように思います。ネット上に公開されているデータを使用して、多少手を加えてはいますが自分のものとして流用してしまった、という点で共通しています。この人は、発覚以前にも何度か盗作・ねつ造を繰り返していたそうですから不正の感覚が次第に薄れていたのではないかと想像します。感覚が麻痺してくると副作用であるといえます。

 私自身、ネットなしで仕事をすることは考えられませんし、ネットの使用を否定するつもりはありません。技術の進歩とともに仕事のスタイルが変わったことは自覚しています。先に述べたように自分の頭に知識を蓄積するのではなく必要な時に収集する方法にシフトしています。その方が生産性(効率)が高いと思うからであり、それでよいと考えています。ただし、ある程度のバックグラウンドとなる技術や知識を身につけてからでないと、どこかで足元をすくわれそうな危険性を感じているのも事実です。具体的にどんな、と聞かれると答えにくいのですがなんとなくそんな気がするのです。副作用に関しては自覚が難しいのでどうやって回避するかは課題として残りますが、ツールに頼りすぎないようにして時々立ち止まって考えることは心がけています。

2011.3.6

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道具の進歩がもたらす副作用〜インターネット