自分の作品は自分の子供?


 「自分の子供は他の子供よりもずっとかわいい」と思っている人は多い。かなり前のことになるが同僚二人がそれぞれの子供の写真を見せあってかわいい自慢をしていた。一人の同僚が立ち去った後、別の一人が私に「あの子はそれほどかわいいとは思えない。僕の子供の方がずっとかわいいよね?」と私に同意を求めてきた。正直なところどっちもどっちだったので「う〜ん、まぁどちらもかわいいよ。。」とお茶を濁しておいた。こんなに可愛いのだから他の人が見てもあまりの可愛さに感激するに違いない、と考える親はかなりいるようだ。一説によると自分の子供はかわいく見えるというホルモン作用があるらしい。そう考えると自分の子供が一番かわいいと信じて疑わない親が多いことの説明がつく。今では同僚はみな歳をとり子供も大きくなったがかつては年賀状に子供の写真だけを印刷して送ってくる人もいた。親戚宛ての年賀状なら子供の成長報告ということでそれなりの意味はあるかもしれないが他人の子供の成長記録にはそれほど関心はない。家族全体の写真ならわかるがそのような年賀状を受け取ってやれやれと思っている人も多いのではないか。ちょっと失礼な言い方だとは思うがもう時効だし友人は寛容だから聞き流してくれるだろう。







本文と写真は関係ありません


 自分が撮影した写真についても同様の傾向があると思う。写真を趣味とする人の多くは自分が撮影した写真がよく見える傾向があるようだ。「こんなに良く撮れているのになぜわからないのか」とコンテストの結果に文句をつける人がいるらしい。写真を趣味とする人にはうぬぼれの強い人が多い。評価する立場の先生が苦言を述べているのを何度か読んだり聞いたりしたことがある。そのような傾向はほとんどは年配の男性で写真のレベルはそこそこという人が多いとか。そのような人たちは自分で自分の壁を作ってしまっていて上達も止まっていることが多いとはある先生の指摘である。自己満足していては進歩もないということか。耳の痛い話だ。

 撮影した時の感動や被写体に対する思い入れも作用しているかもしれない。写真表現が優れていて写真にそれが反映されていれば見る人も感動するだろうが思い入れが先行して写真表現が不十分なら自慢話だけ聞かされる側は興ざめだ。「能書きはいらない。プレゼン(写真)がすべて」とはあるギャラリーの審査をする方の話で大いに説得力がある。

 自分の欠点や弱点は自分ではわからないことが多い。プロスポーツ選手にはコーチがつく。たとえばプロゴルフではティーチングプロという資格が存在する(ティーチングのプロであるがプロゴルファーよりゴルフが上手とは限らない)。タイガー・ウッズが全盛期の時でもティーチングプロがついていてフォームのチェックをしていた。知らず知らずのうちにフォームが変化してスランプの原因になっていることを自分ではなかなか認識できないからだ。

 自分の作品をレビューして評価するときは要注意である。余計な予備知識や思い入れをリセットして第三者の目、覚めた目で写真を見直すことが重要だと再認識しよう。

2016年2月20日

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