極めて非日常的なある日の出来事
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[1] 目覚めて直ぐに感じた違和感。 いつもと見える景色が違う――遠近感や視界の鮮明さ――世界はこんなにも鮮やかなものだったのかと、感嘆にも似た気分で周りを見やる。 次に、ふと思い付いて左目を手で覆ってみる。 ほとんど見えないはずの右目が世界を写す。 そして、視界に入る紅い髪。よくよく見れば、自分の格好も昨夜眠りについた時とは異なっている――これではまるで悟浄のようではないかと思いつつ、八戒は昨夜の記憶を反芻する。 昨夜は悟浄が珍しく、執拗に寝る前に一杯付き合えと言うので、寝酒にと思い酒盛りに付き合いはした。しかし、それもほどほどの量で切り上げたはずだ。泥酔する程は飲んでいない――そもそも、今までだって前後不覚に陥る程飲んだことはないのだけれど。 では、連日の運転で、そうとは気付かぬ間に相当疲れが貯まっているのだろうか? それにしたって、寝ているうちに悪戯されれば、それなりに気付くと思うのだがと考えつつ、頭に手をやる。 頭上のカツラを外そうと引っ張ったそれは、頭皮に痛みをもたらしただけだった。 その段に至って、漸くイヤ〜な予感を覚えた八戒は、壁に備え付けられた鏡を恐る恐る覗き込む。 果たして、そこに映ったのは――。 「あはははは……」 引きつった笑いを浮かべる悟浄の顔であった。
呟きながら、八戒は――どう考えてみても、いつもの自分の服は悟浄には似合わないとの判断のうえ――とりあえず悟浄の服に腕をとおす。 髪は、後ろでひとつに纏めた。 あのまま、現実逃避を決め込んで寝直してしまうことも考えてみたが、それで事態が解決するとも思えず、何より外は出立には絶好の晴天ときている。一度、目覚めてしまったもの、再び眠りにつくのは難しいと思われた。 「はぁ……」 八戒の口から幾度目かの溜め息が漏れた。
隅の方のテーブルに、煙草をくわえたまま新聞に目を通す三蔵の姿を認め、そちらへと歩みを進める。 「おはようございます」 声を掛けながら、椅子に腰掛ける。 三蔵の眉間に不機嫌そうな皺が寄った。 「新手の嫌がらせか」 「はい?」 三蔵のいきなりの物言いに、訳が判らず八戒は思わず首を傾げる。 その様子に、三蔵の眉間の皺が更に深まる。 「朝っぱらから何のまねだ。八戒のマネなぞして」 三蔵の不機嫌の理由に漸く思い至り、八戒はひとり頷く。 「やっぱり、どう見てもこれ、悟浄ですよねぇ」 その一言に、三蔵の形のよい眉がピクリと跳ね上がった。
いつもなら、「腹減った」だの「飯っ〜」だのと大騒ぎをして、三蔵のハリセンを食らうところであるが、現状の異様さはそれを許さない雰囲気を醸し出していた。 「おはようさん」 大きな欠伸をしながら、一行最後の一人が現れる。 その声に救いを求めて振り向いた悟空が見たのは、いつもの彼からは想像も出来ないだらしのない着こなしをした八戒の姿だった。 これまた居心地悪そうにその左肩に止まっていたジープが、ピィーと一声甲高い声を上げると、椅子に腰掛ける悟浄の膝の上へと定位置とばかりにひと飛びでその身を移す。 「偉いですね、ジープは。ちゃんと僕だって判るんですねぇ」 今は悟浄であるところの八戒にたてがみを撫でられ、キューとジープは気持ち良さ気な声を上げた。 (悪かったな。気付かなくってっ) 八戒の嫌味とも取れるその言葉を、三蔵は黙殺することにした。 「やっぱり、何かヘンだ。気持ち悪りィ」 現状に耐え切れずに悟空が愚痴る。 「そうは言っても、悟空。どうしてこういうことになったのか、僕にも判らないんで、暫く我慢してください。それと、悟浄。服の裾、しまってください。あと襟もちゃんと閉めてくださいね」 八戒はすかさず、本来の自分の姿に対して服装のチェックを入れる。 「お前、いつもよくこんな格好してられるな。首、苦しくねぇ?」 「襟はいいですから、せめて、肩紐と裾だけはちゃんとしてください」 悟浄の言葉に、一日だらしのない姿で過ごされるよりはと、八戒は妥協案を示した。 「あっ」 その時、悟空が突然素っ頓狂な声を上げる。 「今度はどうしたんですか?」 「昨日、悟浄が怪しげなモノ売りのじいさんから、怪しげな色の薬――」 ゴンッ。 悟空は全てを言い終わる前に、余計なことを言うなとばかりに後頭部を激しく殴られた。 「いってぇな。何すんだよ、このエロがっ……」 衝撃を与えた張本人に罵詈雑言を浴びせようと勢い込んで振り向いたものの、その言葉は途中で失速し、替わってその口から溜め息が漏れる。 「ナンっか、調子くるー。八戒相手に河童呼ばわりしてるみてぇ」 「で、悟浄。誰から何を買ったんですか?」 にこやかな仮面の下に剣呑な雰囲気を漂わせながら、八戒が悟浄を問い詰める。 なまじ見なれた自分の顔なだけに性質(たち)が悪い。渋々、悟浄は事の顛末を話すハメになった。 曰く、露店商の親父さんからその薬を買った。寝る前に自分が入れ替わりたい相手にその薬を飲ませれば――勿論、同時に自分も飲まなければならないが――、一日だけ入れ替わることが出来る、と。 「そんな眉ツバな代物、よく試そうなんて思ったもんですね」 呆れたように八戒が感想を述べれば、まさか、ほんとに効くとは思わなかったけどな、と悟浄はへらっと笑いを付け加える。 「本っ当に一日で元に戻るんですか?そもそも、なんで僕なんです?」 畳み掛けるような八戒の詰問に、悟浄は前半の質問は無視し、後の問いだけに答えることにした。 「いや、それは、チビ猿と入れ替わっても面白くないし、三蔵様は寝るの早かったしな」 自分が選ばれたのが消極的な消去法と知って、そのあまりな理由に八戒はがっくりと肩を落とす。積極的にターゲットにされたとあっては、それはそれで困るのだが……。 「ところでさ」 悟浄は言いながら当然のように八戒に手を差し出た。 「何ですか?」 「タ、バ、コ。ズボンのポケットに入ってるしょ」 「ヤです」 「なんでっ?」 「何でって、当然でしょう。それは僕の身体(からだ)なんですよ。そんな不健康なモノ、我慢して下さい」 八戒の当然と言えば当然な応えに、悟浄は果敢にも反撃を企てる。 「じゃあさ、それは俺の身体(からだ)なわけじゃない。イケてるおネエちゃんがいたら、俺の健康のために口説いてくれちゃったりするわけ?」 「それも、イヤです」 が、あっさりと提案は却下される。 「それって、ズルくない?」 「どこがですか?これを自業自得というんですよ。判ったら、僕でいる間は悪さは謹んでくださいね」 語尾にハートマークでも付きそうなにこやかな物言いとは裏腹に、その場の気温が急激に低下していく。それを肌で感じて、今日は一日八戒を怒らせないようにしようと、それぞれの心の中で誓う三人であった。
「退屈、退屈、うるせーんだよ。このバカ猿」 「猿って言うなっ。この赤ゴキブリ河童」 「へへん、残念でした。今日の俺様はいつもの俺とは違うんだぜ。てめぇのその目は節穴か?」 「ンだよ。いくら皮が八戒だからって、中身エロ河童のまんまじゃねぇかよ」 穏やかな昼下がり。あまりにも穏やか過ぎて、朝の戸惑いも何のその、現状に適応してしまえば、ジープの後部座席ではいつもの如くの過激なコミュニケーションが展開される。 助手席では、既に三蔵のこめかみに青筋が浮かび、爆発まで秒読み状態といったところか。 「三蔵」 三蔵が懐からS&Wを取り出し、安全装置を外す音を聞きつけた八戒が声を掛ける。 「今日はそれ、ぶっぱなすのはヤメてくださいね。僕に穴が空くのはゴメンですから」 その言葉を聞きつけた悟浄が、だったら俺や猿に穴が空くのはいいのか、と口に出そうとした瞬間、ジープの進行方向で轟音と共にハデな火柱が上がった。 ―― Continued on [2]
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