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午前5時34分。人目を忍んで謀をめぐらすには半端な時間である。にも関わらず、薄闇の中、宿の粗末なテーブルを囲んでひそひそと密談を交わす二人の男の影が狭い室内に浮かび上がっていた。
「こんな朝早くから起きてもらったのは他でもありません」
仕切っているのは八戒だ。
「きょうは11月29日。三蔵のお誕生日です!悟空にそう聞きました」
「へー」
やる気のなさそうな悟浄に向かって、早朝にも関わらず弁舌はなめらかだった。
「それでね、僕考えたんですけど。三蔵って、どう考えてもフツウにロウソク消してケーキ食べてプレゼント貰って喜ぶってタイプじゃないでしょう?」
「まぁな」
もしそうだったら恐ろしい。
「そう思って、今回こんな企画を用意してみました」
びし。と八戒が示した卓上の紙には………。
「買出しメモ??」 |
「三蔵、ちょっと買い物を頼みたいんですけど」
小春日和のあたたかな光が満ちる宿の一室で、さわやかに八戒が切り出した。
「……………?」
くわえ煙草のままで銃の分解調整をしていた三蔵は驚いたように眼を上げ、訝しげな表情を作った。口を開こうとする機先を制して八戒が畳み掛ける。
「悟浄は昨夜からどこかへ遊びに行っちゃっていないんです。本当は僕が買い物に行こうと思ったんですけど、なんだか今朝からジープの調子が悪くて」
八戒の腕の中でぐったりとしたジープが、哀れっぽくキュィと鳴いた。
「―――――サルに行かせりゃいいだろう」
なんで俺がそんなことしなきゃなんねぇんだ。
再び視線を落としたまま、不機嫌さを隠しもしない三蔵に八戒は笑顔で切りかえした。
「でも、悟空にはちょっと任せられないんですよ。この辺のお店はカードが使えないんで、現金を持ち歩くことになりますし。ちゃんとした大人じゃないと……。やっぱり三蔵も、無理ですか?」
三蔵の細い眉がピクリと引きつった。
「財布をよこせ……」
ゆらりと立ち上がった、その眼が若干据わっている。八戒は内心ほくそ笑みつつクマさんアップリケの付いたひも付き財布を三蔵に渡した。
「スリが多いそうですから、ひもは首に掛けた方が良いですよ。買い物リストはこれです。お釣りはしっかり貰って来てくださいね。じゃ、いってらっしゃい」
そそくさと三蔵を追い出した八戒は会心の笑みを浮かべたのだった。
一方、眉間にしわを寄せ、大股で宿の玄関を出た三蔵は、そこで少々困惑していた。首からクマさん財布を掛け、握り締めた左手をそっと開く。くしゃくしゃになったメモ用紙には
・ 鳥もも肉500g
・ ワイン1本
とだけ書かれていた。裏面にはご丁寧に略地図がある。宿は大きめの通りに面していて、右に進むと肉屋、左に行くと酒屋……と描いてある。まるで子供の使いである。
「ちっ」
何やら怒りが込み上げてきた。
「面倒なことやらせやがって………!」
殺す。誰にともなくそう呟いて、とりあえず三蔵は右へとずんずん歩き始めた。
かなりの早足で歩くと程なく地図の通りに肉屋の看板が見えてきた。三蔵はまっしぐらにそちらへ向かう。苛立ちのあまりか、呼吸が荒い。そしてそのままの勢いで肉屋の店先を猛然と―――――通り過ぎた。「いらっしゃい」と声をかけようとした肉屋のオヤジは口を「い」の形にしたまま凝固している。
十歩ほど行き過ぎた地点で立ち止まり、うつむいていた三蔵はやおら振り向いた。その凶悪な眼光に肉屋は危うく失神しそうになる。
一方の三蔵はというと、実はこちらも極度の緊張のために小刻みに震える身体を止めることができずにいた。
『落ち着け、落ち着け俺。お前はもう二十歳も過ぎた立派な大人だろう。それなのに今日が買い物デビューだとは……。ふっ、B.B.クィー●ズも真っ青だな。いや、そんな解り難いネタはどうでも良い。そうだ、買い物だ……。俺は肉屋に鳥肉を買いに来たんだ……。しかしどうすればいいのか全く分からん……。畜生、なんで鳥は自販機で売ってねぇんだよ……』
玄奘三蔵、じつに今日この日が彼にとって「はじめてのおつかい」であった。師匠の光明三蔵と暮らしていた頃は必要なものは寺に商人が直接納めに来ていたし、その後ひとりで旅をしていた頃も主に食事つきの宿にばかり泊まっていたから自動販売機で煙草を買う程度だった(未成年だったのだが)。経済観念の欠落が祟ってそのうち文無しになってからは野宿である。そして最高僧として長安に落ち着いてからは何をかいわんや。
ひとりでお店に入り、ちゃんと商品を見て、「これ下さい」と指さしてお金を払ってお釣りをもらい、商品を受け取ってお店を出る。そんな普通の買い物は今までしたことがなかったのだ。
三蔵はずかずかと近づき、青い顔ではぁはぁと息も荒く肉屋をねめつけた。怖い。肉屋はその場から一歩も動けない。そんな緊張状態がしばらく続いた後、
「店主!」
「はいィ!」
どびしっ!と三蔵は肉屋のオヤジを指さした。何故だか知らんが相手はこちらに呑まれている様子。恐るるに足らん!
おもむろに息を吸い込み、落ち着いた口調でゆっくりと言う。
「……金は払う。もも肉の500を鳥グラム、今すぐよこせ!」
…………………………ひとつも言えてねぇし…………!!
指を突きつけたまま硬直した三蔵の前で、皮膚呼吸すら停止したオヤジの精神が、音もなく崩壊した。二人の後ろで、道路工事をしていた男がなぜか地面に倒れていた。
真っ赤になって鳥肉の包みを鷲づかみにしながら肉屋の店先をダッシュで駆け出す三蔵(あろうことか女の子走り)の姿を見ることもなく、肉屋の主人も土方も転がって痙攣している。代金はカウンターにばら撒かれたままだ。
「ひっ、とっ……鳥っ……。とりグラムっ……お約束っ……ひひひ」
『悟浄!何やってんですか!しっかりして下さいよ!』
「安全第一」と書かれたヘルメットに仕込んだヘッドセットから、八戒の叱咤する声ががんがんと響き、土方姿の悟浄は辛うじて立ち上がった。
『ほら、次は酒屋さんですよ。早く先回りして!』
「げっほげほっ、わぁーってるって!」
口元のマイクに怒鳴り返しつつ、カメラを仕込んだ箱を片手に悟浄は走った。何としても三蔵にこちらの動向を気取られてはならない。決しておつかいの邪魔をすることなくその行程を記録し、時には事故を未然に防ぐことが彼に与えられた使命である。かの番組をご覧になった方はご存知であろうが、結構大変な仕事だ。
「ったく、なんで俺ひとりなんだよ」
『だって悟空は隠密行動には向かないでしょう?悟空は悟空で別の用事を頼んでありますから』
宿の前を走りぬけ、酒屋前の電柱のかげに悟浄が身を潜めた頃には、三蔵はすでに酒屋の前で立ちすくんでいた。先ほどの失敗から全く立ち直っていない。薄暗い店の中へ入ることも出来ずにいた。
悟浄の見守る前で、ふいっ、と三蔵は目をそらし、踵を返した。傷ついたように目を伏せ、もと来た道をとぼとぼと戻り始める。人間、慣れない事にはナイーブになるものである。ましてや今回はこの三蔵があの失態だ。心の傷は深かった。ちなみにBGMは「しょげないでよBaby」。
「おいおいおいー!」『どうしたんですか?』「ワイン買わねぇで戻る気だよ」『ええっ!何とかして下さいよ悟浄!?』「何とかって、あ?」『どうしました?』「いやなんか、悟空が……」
やや肩を落として歩く三蔵に、後ろから声がかかった。
「さんぞーっ!」
悟空だ。寒気に頬っぺたを赤くして、大きな箱を抱えている。
「三蔵、何でこんなとこにいんの?」
三蔵は憂鬱そうな眼で持っていた包みを悟空に押し付け、問いかけを無視してさっさと歩き出した。
「何これ。……肉?三蔵が買出しに来てたんだ?」
すっげぇめずらしーじゃん、と言いながら悟空はその後について歩く。
「あ、じゃあさ、ワインは?ワイン買った?」
そのごく何気ない一言がぐっさりと突き刺さる。思わず動きを止めた三蔵に悟空は首をかしげた。
「まだ買ってねぇの?何で?酒屋こっちじゃん」
こっち、と背後を指差す悟空に三蔵は嫌な顔をした。
「……お前が買って来い」
「だって俺、お金持ってねーもん。これだって八戒が予約してたやつ貰って来ただけだもん」
そう言って大きな箱を示す。八戒、無駄遣いするからって俺には買い物させてくんねーしー、とブンむくれたまま、ちらりと三蔵を見上げた。
「いいよな、三蔵は。ひとりで財布持っておつかいに行かせてもらえてさ」
「………………」
かるく視線を落としていた三蔵はそのままの体勢でしばし固まった。そしてくるりと回れ右するとフッ、とニヒルな笑みを浮かべ、急に自信たっぷりに歩き出した。
そうだ、俺はちゃんとした立派な大人だからな!ひとりでおつかいぐらいちゃんと出来るんだ!
「行くぞ悟空!」
「あ、待てよ三蔵っ!」
三蔵は先に立ってずんずんと歩く。その後を大きな箱を抱えた悟空が一生懸命追いかける。BGMはもちろん「ドレミファだいじょーぶ」!ご存知の方はご一緒にどうぞ!!
酒屋ののれんを潜った三蔵は細かい事を抜きにして元気よく叫んだ。
「ワイン1本だ!さっさと包め!」
一連のやり取りを無線で聞いていた悟浄はげっそりと電柱にもたれつつ、呟いた。
「三蔵……。ところでお前……今年で幾つだ?」
もっともですがそういうメタな突っ込みは禁止です悟浄さん。
「いやー、無事におつかいできたようで何よりですね」
あれを無事と言うのであれば、だが。宿の部屋でモニターを眺めながら、八戒は紅茶を口元に運んだ。横からジープも覗き込んでいる。
『つーか、アホだぞ、あいつらは』
「何を今さら」
さりげなく凄いことを言ってのけた八戒はのんびりとジープのたてがみを撫でた。
「三蔵にもそろそろ買い物ぐらい分担してほしいなぁと思ってたんですよ。でも全然動こうとしないですから……。あれは面倒くさがりというより寧ろ、外の世界を知らなすぎてひとりじゃ買い物もできないのかもと思いましてね……」
ジープもキュウ、と八戒の手のひらに顔をこすりつけた。
「そういう事なら是非この機会に三蔵にひとりでおつかいに行かせて自信をつけさせてあげたいと思ったんです。やれば出来る子ですから、三蔵は。最近成長著しいですしね。そろそろ長男の自覚も必要だと思いますし」
『長男!?』
「とにかく、この記念すべきお誕生日にちょっとした冒険をプレゼントしてまた一歩成長してほしいというこの親心。泣けてきますね。僕は僕の息子に生まれたかったですよ!」
八戒の保父さん魂が、要らぬところで炸裂した結果の企画だった模様である。
『……』
無線の向こうで完全に沈没した様子の悟浄に構わず、八戒は立ち上がってエプロンをつけた。
「さて、今日は厨房を借りてご馳走を作りましょうね、ジープ」
宿の階段に足をかけながら、三蔵は悟空を振り返った。
「おい」
「え?」
「そういえばお前、なんでワインの事知ってた?」
大きな箱から半分顔を覗かせて、悟空は当然じゃん、と至極マジメに言った。
「だって今日、三蔵の誕生日だもん。やっぱつき物だろ、ワインとかシャンパンとか」
思わず階段を踏み外しそうな三蔵にさらに追い討ちをかける。
「だから俺、八戒が予約してたケーキ取りに行ってたんだ。なんだ、気づいてなかったの?11月29日。おめでとう、三蔵!」
「なんでてめぇがそんな事知ってんだよ………」
「寺にいたとき役員名簿で見た」
非常に地味な答えをあっさりと言って悟空が笑う。
「別に今までお祝いとかはしてなかったけどさ、今年はみんな一緒なんだし、楽しいからいいじゃん。うまいもんいっぱい食えるしさー!な、このケーキ、店で一番でっかいやつなんだって!」
「……フン」
厨房から八戒が顔を出した。
「あ、お帰りなさい、三蔵。お肉とワイン、買ってきてくれました?」
無愛想に両方の包みを渡した三蔵に、八戒は無敵の笑顔を向けた。
「ご苦労様です。悟空も。じゃあ、これでフライドチキン作ったら全部出来上がりですから、悟空手伝ってくれますか?」
「うん!」
部屋で待っててくださいね〜、と言う声を背中で聞いて、階段を上り、ドアを開ける。
「あらっ、お帰りなさい、三蔵サマ」
なにやら機材と部屋備え付けのテレビを接続していた悟浄がニヤニヤしながら手を振った。
「何だそれは」
「ん?コレ?あとで見てのお楽しみ〜♪♪」
何だか調子が狂う。三蔵は憮然とした表情のまま、煙草に火をつけた。
さんざん歩き回ったせいだろう、その一服は妙にうまかった。悟浄はそんな三蔵の様子を見て、ひそかに含み笑いを漏らしたのだった。
その晩、夕食の後で公開された「三蔵、はじめてのおつかい」VTR(むろんテロップ・BGM入り)に主役が激怒して手入れしたばかりの銃が火を噴き、レンタルしていたビデオカメラ(この辺りでは高級品)が粉々に破壊され、弁償するために悟浄が一週間タダ働きをすることになった……というのはまた別の話。
*おしまい*
(C)Micri
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