ところで、四條畷神社について簡単にまとめると、
四條畷神社
鎮座地:
祭神:
配祀:
例祭:
境内神社:
大阪府四條畷市南野2-18-1
(主神)楠正行(楠木正行)
楠正時(楠木正時) 以下二十四柱
2月12日
御妣神社 楠天神社



 楠木正行は楠木正成の嫡男で、父の勲功により従五位下帯刀になり、後に検非違使、左衛門尉となって河内守を兼ねた。
 建武3年=延元元年(1336)に正成が湊川の合戦で戦死した後は、一族の中心として再挙を期した。
 貞和3年=正平2年(1347)8月、河内の東条で挙兵、紀伊の隅田城を攻略、東条-吉野の連絡路を確保し、9月には河内藤井寺へと出撃、11月には住吉で合戦し、勝利を収めた。
 同年12月、足利方は高師直・師泰を両大将として畿南に大軍を差し向けた。
 翌貞和4年=正平3年(1348)1月、両軍が激突し、正行らは寡兵ながらも奮戦したが、ついに力尽き、弟の正時と刺し違えて自刃した。和田賢秀ら有力武将も討死した。
 明治に入り地元の住民らから、楠木氏らを祀る神社創建の願いが出された。明治22年勅許が下り、別格官幣社に列格された。明治23年4月に鎮座祭が斎行された。
 御祭神は、楠木正成の嫡男の楠木正行を主祭神とし、弟の正時、正家、和田賢秀など24柱を配祀神としている。
資料:「南朝関係 十五神社巡拝案内記」(建武中興十五社会)、「南北朝の動乱」(集英社)、「図説太平記の時代」(河出書房新社)

こちらの神社も、地元の方々の熱い思いで創建されたんですね〜。
神明鳥居 拝殿 御妣神社

境内の中には“桜井の別れ”のシーンを模した石像と、父の正成公が湊川の合戦で戦死し、その首が届いたのを見て、正行公が自害しようとするのを、母(久子)から思いとどまるように諭されている場面の像があります。
この辺りは、「太平記」で有名なシーンですね!
桜井の別れの石像
忠孝両全
母と小楠公の石像
貞仁両全