| 福島県伊達市霊山町大石古屋舘1番地(霊山神社) |
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| その他のスナップ | |
| 概 略 |
濫觴武楽隊の舞は、今からおよそ650年前の南北朝時代、北畠顕家が国府を開くため、義良親王を奉じて多賀城から霊山城に入城した際、地元民が山上の山王大権現に剣の舞を奉じ、武運長久と士気の鼓舞を祈願したのが始まりといわれている。 貞和3年/正平2年(1347)の霊山城落城後、濫觴武楽隊の舞は途絶えたが(何度か復興もされたたらしい)、明治14年、霊山神社創建の際、復興し、今日に至っている。 現在は北畠卿一族がまつられている霊山神社例大祭(以前は4月22日だったのですが、最近は4月29日に行われています。)に、地元青少年達によってこの舞が奉納されている。 舞の名前については、“蘭陵王の舞”が“濫觴の舞”と訛ったのではないか、との説があるが、なぜ“濫觴”の字を当てたのか、何時ごろからこのように呼ばれるようになったのかは、不明である。 なお、濫觴の文字は、觴(さかずき)を濫(うかべる)ということで、揚子江ほどの大河でも、その源流はさかずきをうかべる位のささやかな流れであるとのことから、“ものごとのおこり”の意味である。 資料:「霊山史談 第5号」、 「霊山観光ガイド」(霊山町・霊山町観光協会)ほか |
| 大 錦 号 の 独 り 言 |
これもまた顕家様ファンなら見たいと思うはずの濫觴武楽隊の舞。濫觴の舞と言われることが多いかと思います。 まあ、なにはともあれ、顕家様のために舞われたものを見逃すわけにはいきません。これは霊山神社の春季例祭(以前は4月22日だったのですが、最近は4月29日に行われています。)の時に奉納されています。 当時、管理人は九州に住んでいましたので、地元の方に「九州から来ました」と言うと、「記者の方ですか?」と聞かれました。そうよねー、観光客として九州からわざわざ来るほど知名度が高い訳じゃないものねー。それでも、地元ではそれなりに有名らしく、テレビカメラが来ていました。実際、夕方のニュースで放送されました。 笛太鼓の囃子に合せての舞を、人垣の間から覗いて見ていると(背が低いものですから)、「遠くから来たんだから前に出て見なさい」と最前列に出させて頂きました。お蔭様で充分に見ることができました。地元の方々、ありがとうございました。 管理人が訪れた時、舞手は青少年(男性)のみだったのですが、最近は少子化の影響で女の子も舞っているとネットで見かけました。しかし、どのサイトだったのか分からなくなってしまいました・・・(ToT) なお、濫觴の舞は霊山神社のものが知られていますが、隣の石田地区にある鈴嶽神社にも濫觴神楽隊の舞と言うのがあるようです。 |