多賀城廃寺跡(特別史跡)
宮城県多賀城市高崎1丁目
講堂跡 金堂跡
多賀城廃寺跡その他のスナップ



 多賀城廃寺跡は、 多賀城跡の南東1kmの低い丘陵にあり、大正11年、(1922年)10月、「史蹟名勝天然記念物保存法」により多賀城政庁跡とともに国の史跡に指定された。昭和41年には国の特別史跡に指定されている。
 この寺院は奈良時代初期から平安時代頃まで多賀城の附属寺院として栄え、東北地方の経営と国家の安穏を祈った官立の寺で、福岡県太宰府の観世寺に似ていると言われている。
 昭和36、37年に発掘調査が実施され、主要伽藍が明らかになった。南北に中門と講堂、その中間の東西に三重の塔と金堂が並び、中門と講堂を結ぶ築地が、塔と金堂を取り囲んでいる。講堂の北に大房と小子房の僧房が並んでいて、また左右には経蔵と鐘楼がある。
 昭和41年〜43年度に整備事業が行われ、現在、歴史公園として一般に広く親しまれている。
資料:多賀城市・多賀城市観光協会パンフレットほか







 「顕家様と関係あるかどうかわかんないけど、とりあえず行ってみよう!」ってなノリで行った多賀城廃寺跡。
 実際には、礎石しか残っていないよくあるタイプの歴史公園なのですが、ここに展示されている説明文の中に「南北朝の際の義良親王、北畠顕家の治所等として史上にその名をとどめている。」との文を見て、「顕家様と関係があったのね♪来て良かった!」と思っていたのに、今、読み返してみると、上述した説明文は多賀城についての説明だった・・・
 でも、行って良かったです!