北条高時腹切やぐら



 宝戒寺の背後の葛西ヶ谷と呼ばれる一帯が東勝寺跡にあたる。元弘3年(1333年)新田義貞の軍勢に追い詰められた14代執権北条高時が、ここで870余人の一族郎党とともに寺に火を放って自害し、鎌倉幕府は滅んだ。なお、金沢貞顕、安達時顕、長崎高綱(円喜)も、ここで自害している。
 最近焼け跡が発見され、当時の様子がかなり明らかになったが現在は案内の類いはない。左手奥の山腹には腹切やぐらが口を開けており、洞窟の中に石塔と何本もの塔婆が立っている。
     資料:「JTB のポケットガイド 鎌倉」 ほか






 北条高時最期の地。北条高時は管理人の中で“バカ殿”のイメージが強いのですが、それでも、壮絶な最期を想像すると、ただの馬鹿ではなかったのかもしれないと思います。
 この腹切やぐらも、北条一族最期の地として葛原岡と同様に、なんとなくおどろおどろしいものを感じないわけでもないのですが、昼間見る限りには洞穴としか見えないです。
 でも、それは霊感が全く無い私の感想ですが。