| 大阪市阿倍野区王子町3丁目8番地 |
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| 北畠顕家卿之墓 |
| 概 略 |
北畠顕家卿の墓は、北畠公園の一角にあり、その碑の前面には「別当鎮守府大将軍従二位行権中納言兼右衛門督陸奥守源朝臣顕家卿之墓」という文字が刻まれている。 もともとここには「大名塚」と呼ばれていた塚があったのだが、それを、江戸時代の国学者 並川誠所が顕家の墓と推定し、その提唱で、享保年間(1716〜1736)に北畠顕家の墓として建てられた。 資料:「なにわ塚物語」(創芸出版)、「北畠氏の研究」(大西源一) |
| 大 錦 号 の 独 り 言 |
「太平記」には顕家様の戦死の地が摂津阿倍野と書かれているので、石津にある供養塔よりも、こちらの北畠公園の方が一般には知られているのかもしれません。 北畠公園には5回ぐらい、石津の供養塔には3回ぐらい今までお参りに行っているのですが、どちらとも、いつもお花が供えてあり、周囲はきれいに清掃されています。顕家様を愛するものとしては、地元の方々にお墓も供養塔も大切にされていることが、とにかく嬉しいです。 大抵、私がお参りする時には、お花を持参してますので、既に生けてあるのと一緒になって、花立てがぎゅうぎゅう詰めになります(笑)。 しかし、突然見知らぬ人がやってきて、花立てをぎゅうぎゅう詰めにしている光景を地元の方が見られたら、さぞかし、“変な人”に見えるんでしょうねー。 北畠公園に初めて行った時、子供達がサッカーをしていまして、ボールがお墓の方向に飛ぶ度にヒヤヒヤさせられました(笑)。 |
平成13年(2001)5.19