| 鎮座地: 祭 神: 配 祀: |
鎮座:大阪市阿倍野区北畠3丁目7-20 御祭神:北畠親房、北畠顕家 例祭:1月24日 |
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| 阿部野神社 | |
| その他のスナップ |
| 概 略 |
北畠親房は後醍醐天皇の親任が厚く、吉田定房、万里小路宣房とともに、「後の三房」と称された一人である。後醍醐天皇の吉野遷幸の後は、吉野朝の中心人物として、伊勢、あるいは常陸において、京都回復の計画を進めた。後醍醐天皇の崩御後、後村上天皇の帝王学の教科書として、常陸の国の小田城で「神皇正統記」を著した。その後吉野に帰り、後村上天皇を助け、三后に準じられたが、正平9年(1354)4月17日病死した。享年62歳。 北畠顕家は親房の長子で、元弘3年(1333)8月陸奥守に任じられ、義良親王(のちの後村上天皇)を奉じて陸奥へ下向した。延元元年(1336)、足利尊氏が叛すると、上洛して九州に敗走させたが、延元3年(1338)京都回復のため再度上洛を試みたが、5月22日21歳で戦没した。 鎮座地は顕家が足利軍と戦った古戦場で、明治15年1月、阿部野神社と号して創立、明治23年3月鎮座祭が斎行された。 現社殿は、昭和43年に再建されたものである。 出典:阿部野神社由緒書「鎮守の森」(阿部野神社)阿部野神社の公式HPはこちら↓ http://www.abenojinjya.com/index.html |
| 大 錦 号 の 独 り 言 |
顕家様ファンならば、霊山神社、北畠神社とともに必ず行きたいと思うはずの阿部野神社です!なんと言っても、「太平記」においては、顕家様がお亡くなりになられたとされている阿倍野ですから・・・ まあ、顕家様のお亡くなりになられた地として、石津も挙げられますので、「最期の地」と言いきれませんが・・・それでも、「顕家様が祀られている〜!」と、いくらでも浸ることができます。 こちらは、住宅地内にあるということで、敷地面積は霊山神社や北畠神社より狭いですが、内容は充実しております。親房の業績の説明文が書かれた板が塀のように並べてある小道、親房や義良親王が詠んだ歌を散在させた花の小道があり、いろいろ想像をかき立ててくれます。 ここを訪ねた時、例祭の時に何かイベントがあるかどうか聞いたのですが(霊山神社のように奉納舞とか特別なことがあるかを期待して)、特に一般向けにはないそうです。もう何年も前のことなので、今は違うかもしれませんが。 |
平成13年(2001)5.17