| 奈良県吉野郡吉野町吉野山1024 |
![]() |
![]() |
| 如意輪寺 | 正行と弁内侍 |
| その他のスナップ | |
| 概 略 |
大和国吉野山如意輪寺は、塔尾山椿花院という。現在、如意輪堂(本堂)・多宝塔・御霊殿・幽香楼・報国殿・宝蔵・鐘楼・茶所・庫裡等の建造物がある。 延喜年間(901-923)文章博士三好義行の弟で、醍醐天皇の御帰依を被った日蔵道賢上人の草創。後醍醐天皇が吉野に行宮を定めて勅願所となった。後醍醐天皇は延元4年に崩御され、その御遺骸を葬ったのが、塔尾陵である。正平2年(1346)楠木正行及びその一族郎党143人が四条畷の戦に向かうにあたり、吉野の皇居に後村上天皇と今生の別れを告げ、後醍醐天皇の御陵に参拝した。そののち、如意輪堂で髷を切って仏前に奉納、過去帳に姓名を残し、最後に正行は鏃をもって御堂の扉に かゑらじと かねておもへば 梓弓 なき数に入る 名をぞとヾむる と辞世の歌を残して四条畷に向い、激戦の末、弟 正時とともに最期をとげた。 現在の如意輪堂は慶安3年(江戸時代)の再建で、当時の扉は現在宝物殿に保存されている。 資料:如意輪寺パンフレット「吉野山 如意輪寺」 |
| 大 錦 号 の 独 り 言 |
如意輪寺といえば、もう、楠木正行ですね。なんたって門の柱には「楠木正行公遺跡」と書いてあるぐらいですから・・・ 管理人にとってここは、建造物よりも宝物殿が良かったです。「かゑらじと〜」の歌が彫ってある扉はもちろんのこと、南北朝時代関連本でよく見かける絵などが展示されていました。 正行について、ほとんど知らなかったので、屏風に描かれた正行像と隣り合って置いてある屏風に描かれた女性の絵はなんじゃらほい?と思っていました。 この方は、後村上天皇から正行の奥方にとのお話が出ていた日野俊基の娘さんで、弁内侍という方なんですね。 正行はお話を断ったようですが、内侍は正行の死後、悲しみの余り髪を切って尼となり、その菩提を弔ったとか・・・ |
平成13年(2001)5.3