| 鎮座地: 祭 神: 配 祀: |
三重県津市大字藤方八幡田2341 結城宗広 結城親光、一族殉難将士 |
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| 結城神社 | 御墳墓 |
| その他のスナップ | |
| 概 略 |
結城宗広は、陸奥白河(現在の福島県白河市)の城主、入道して道忠と称された。元弘3年大塔宮護良親王の令旨ならびに後醍醐天皇の綸旨を奉じて、新田義貞と協力して鎌倉幕府を攻略した。北畠顕家が陸奥国司として入部すると奥州式評定衆に任じられ、建武3年=延元元年(1336)、顕家に従って上洛し、足利尊氏を九州に敗走させた。尊氏の京都奪還、後醍醐天皇の吉野潜行の後、再び顕家に従って西上したが、暦応元年=延元3年(1338)、顕家が高師直との戦において敗死したため、吉野に逃れた。ここで、宗広は奥州における南朝勢力の再建を献策し、その実現のため海路で東国を目指したが、海上で遭難して伊勢に戻り、この地で病没した。 結城神社は、昔、地方民が「結城明神」と称えて宗広公の御墓側に小さな祠を建てたところから始まる。明治15年1月24日特旨を以って別格官弊社に列せられ、荘厳な諸社殿が建立された。昭和12年の宗広公600年祭斎行に当たっては、境内の社殿改築が行われたが、昭和20年7月28日、戦災により本殿以下諸建物が失われた。昭和31年復興第一期、33年第二期工事竣工、続いて社殿以下附属建物等が整備された。 資料:「鎌倉・室町人名事典」(新人物往来社)、「参拝のしおり」(結城神社) |
| 大 錦 号 の 独 り 言 |
結城神社は梅の名所として有名な神社だそうです。しかし、私が訪れたのは、梅の季節ではなかったので、次に行く時には是非梅を見に!と思っております。 さて、ここは社宝館が良かったです。結城宗広直筆書状(写真)はもちろん、顕家様の国宣や下文も展示されていて、大興奮いたしました。「キャ〜!顕家様直筆よー!」(おそらく顕家様の自筆は花押の部分だけでしょうが・・・・) とにかく、社宝館はお勧めです。私が行った時は、開館時間より30分近く前だったのですが、快く入館させていただきまして、とても嬉しかったです。そのため、電車の時間を気にせず、ゆっくり見ることができました。ありがとうございました。 |