御朱印ツアーで、名和神社に行くと決めた時に、友人が車を出してくれると言ってくれたので、ゆかりの地として船上山に連れて行ってもらったのですが、「自分が行きたくて、かつ歴史に興味のない友人も楽しめる場所にも行こう!」と考えまして、金運アップの御利益で有名な “金持神社(かもちじんじゃ)” に行くことにしました!

ふっふっふ・・・。これで宝くじで、大口の当選間違いなし!?(笑)

そんな観光気分で行ったのですが、駐車場に車を停めて、そこにある石碑を見て驚きました。
そこには、“金持党発祥之地”と書かれており、横にある石板の碑文には、 “後醍醐天皇が隠岐を脱出して名和長年に奉ぜられ、鎌倉幕府と船上山で戦った際、金持一族の金持大和守景藤が、300余騎を率いて天皇方として戦った・・・” というような内容が書かれているのです!!

ええ〜!!単に観光目的・・・というか、「宝くじ当てたい!!」という邪まな動機(笑)で行ったのに、実は南朝ゆかりの場所だったなんて〜!!
これは運命!?(笑)
別の項にも書いたことがありますが、初めて三重県の北畠神社に行ったとき、たまたま桜まつりの日だったり、顕家様のimage flowerが桜だと思っていたら、顕家様の誕生日が桜の季節と分かったりと何かしらの偶然があったりするのは、引き寄せられる何かがあるのかも!?と妄想が膨らみます(笑)

名和一族郎党の墓の項でも書きましたが、東大阪市の枚岡梅林に行ったときに感じたデジャヴにしても、その時には顕家様が生駒山地を越えたかどうかなんて、知らなかったんですね。後日、『北畠太平記』(横山高治)に“生駒山のくらがり峠を越えて河内国に入り”の記述を見て、「顕家様と一緒に見たのかも」という妄想をちょっと信じたりしました(笑)
金持神社
鎮座地:
祭神:
合祭:
例祭:
鳥取県日野郡江府町江尾1974
天之常立命、八束水臣津努命、淤美豆奴命
天香語山命
1月1日、4月25日、7月25日、10月25日
鳥居 拝殿



 創立年代不詳であるが、弘仁元(810)年に出雲国妙見宮(現長浜神社)より勧請せる社にて、旧社号を「妙見宮」と称し、明治元年神社改正の際に「金持社」と改め、同年6月「金持神社」と改正した。
 弘仁元(810)年、伊勢神宮の式年遷宮が行われる時、出雲国薗妙見宮の神官の次男が道中安全のお守りとして妙見宮の神前の目付の玉石を袋に入れて旅をした。
 しかし、金持(かもち)の地まで来た時、玉石袋が急に重くなり、仕方なくその場に置いて伊勢に急いだ。その頃、梅林家(現宮司)の先祖の吉郎左衛門に宮造りを神夢があったので、その玉石をこの里の氏神とし、宮造りをして奉ったと伝えられている。
 また、元弘の頃、後醍醐天皇の船上山遷幸の際、金持景藤が名和長年らと義兵を挙げ、聖運隆昌を当神社に祈願し、神前の戸張を御旗としたとも伝えられている。
資料:「金持神社由緒書」、「日本で一番縁起の良い名前の神社 金持神社」(金持神社札所、日野町観光協会)、金持神社入り口の標識