恵林寺
山梨県甲州市塩山小屋敷2280
総門 開山堂



恵林寺は1330年夢窓国師によって開かれ、武田信玄が菩提寺と定めた臨済宗妙心派の古刹である。
夢窓国師は伊勢の生まれで甲斐へ移り住み9歳で出家。当時の領主 二階堂道蘊(どううん)に請われ邸宅を禅院に改めたのが恵林寺の始まり、夢窓国師55歳の頃であった。
(資料:恵林寺パンフレット)
恵林寺公式HP→

四脚門

三門
黒門を入り参道を上がると、四脚門(赤門)が現れる。この赤門は織田信長により全山焼かれた後、徳川家康によって再建された当時のもので、1606年の棟札が掲げられ、国の重要文化財に指定されている。 天正10年(1582年)、武田家滅亡の折、織田軍は、武田信玄の菩提寺である恵林寺に潜伏保護されていた者達を引き渡すよう快川国師に命じた。しかし、これを拒否され、怒った織田信長は、三門に快川国師はじめ約100人の僧侶らを封じ込め、火を放った。炎上する三門楼上で僧侶らは寺と運命を共にした。
有名な「安禅不必須山水、滅却心頭火自(あんぜんかならずしもさんすいをもちいずしんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし)」は、快川国師が壮絶な火定(かじょう)を遂げた際の一句である。

恵林寺庭園

武田信玄供養塔
本堂の裏側には夢窓国師築庭の池泉回遊式庭園が広がっている。上段に枯山水、下段には心寺池を配した雄大な規模を誇る名園であり、昭和17年に国指定の名勝となる。夢窓国師はこの恵林寺作庭後に、西芳寺、天竜寺の庭も手がけることになる。 明王殿の裏に信玄の墓がある。1521年生まれ。16歳の時、晴信と名乗り、39歳で出家し信玄と号す。1573年4月12日、53歳にて病死、後に快川国師の導師により恵林寺で葬儀が行われており、現在でも恵林寺では4月12日に信玄忌として毎年供養が行われている。信玄の墓の後ろには武田家臣の供養塔が約70基並んでいる。

仏舎利宝塔