典厩寺
長野市篠ノ井杵淵1000
本殿 典厩殿の首を洗ったと伝えられる井戸
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当時はもと鶴巣寺と号し、永禄4年9月10日川中島合戦の際、信玄の実弟 典厩信繁(武田の副将)の陣営地にして奮戦の末、この付近ではなばなしく討死したので、遺骸を当寺の境内に埋めて典厩塚と云う。
元和8年(合戦から60年後)に武田典厩の名をとって寺号を典厩寺と改め川中島戦死者群霊を弔い永遠に史跡として記念する事となった現今川中島平における直戦地古戦勝と平和静寂な観光の地にして古を偲ぶ歴史的研究者の最も良き名勝地なり。
資料:典厩寺パンフレット
武田典厩信繁公の墳墓

宝永の古書に「信繁公の御葬地は其の頃御石碑無之此所なりとて古き松あり」と記してあり、昔、村人は典厩塚と云って来たが、元和8年に松代藩主 真田信之により長さ六尺余の野石を以って碑を建立せり。
    永禄4年辛酉9月10日秋
       松操院殿鶴山巣月大居士
         甲斐源氏武田左典厩信繁
典厩殿のお墓
甲越弔魂碑

明治39年9月10日に川中島合戦350年祭を行い閑雅清浄の庭園に「元帥」伊東祐亭の筆なる「懐古」の一大記念碑を建て右に謙信の勇士力試しの遺石と左に信玄愛石の庭石を配列せり 当時の庭園は元伊東元帥により懐古園と銘名され玄関先には皇太子様(大正7年)宝物御台覧記念の松が栄え、各宮家の御来遊記念樹、梅、桜等多く、春になれば花咲き匂いて情緒深し。
甲越弔魂碑