寺田屋
京都市伏見区南浜町263
寺田屋



 伏見にあった数多くの船宿の一つで、女将のお登勢は志士達に慕われ、薩摩藩の定宿ともなっていた。
現在の寺田屋は、鳥羽伏見の戦に罹災し、現在の建物はその後再建したものである。再現された建物は、内部の見学ができるほか、現在も旅館として営業している。
 坂本龍馬の関係する事件は、慶応2年(1866)1月23日薩長同盟の締結した翌々日に薩摩藩士を装い宿泊していた龍馬と長州藩士三吉慎蔵ら4名を捕らえようと、百数十人の伏見奉行配下の捕り方が寺田屋を急襲した。いわゆる「寺田屋事件」である。
 異変にいち早く気づいた婚約者のお龍は、入浴中にも関わらず、素っ裸に近い状態のままで裏階段より龍馬たちに急を知らせ、龍馬は所持したピストルを利用して多数の捕り方相手に大乱闘となり、手傷を負いながら も屋根づたいに逃げ、川端の材木屋に隠れた。
 一緒に逃げた長州藩士の三吉慎蔵は、捕り方の多さや追撃の厳しさから、あきらめて切腹しようとしたが、龍馬はこれを押し留めて伏見薩摩藩邸に行くように指示し、自らは捕り方の囲みの突破は、困難と悟った龍馬は手傷を負っていることもあり、薩摩藩の船による救援を待った。
 その知らせを聞いた藩邸では、濠川(ほりかわ)沿いに舟を出し、龍馬を援護すると共に救助して伏見薩摩藩邸に匿った。それを聞き及んだ幕府の伏見奉行所側は、再三にわたり、伏見薩摩藩邸に龍馬の引き渡しを要求したが、これを「知らぬ存ぜぬ」で押し通し、龍馬たちの鹿児島への脱出の機会を窺わせた。 その後、坂本龍馬たちは京師の錦小路藩邸へと移り、お龍と龍馬は共々に鹿児島へと旅に出た。