
『南北朝 武将列伝(南朝編)』では、残念な思いをしましたが、改めて考えさせられる面もありましたので、「原文をもう一度読んでみなければ!!」 と、思いました。
それで、一つ気が付いたのは、顕家様の上奏文第一条の口語訳で、今まで
“速かにその人を撰びて、西府および東関に発遣せよ。” を “早急に有能な人材を選出し、九州及び東北へ派遣すること。”
と、していたのですが、“東関(とうかん)”を辞書で調べると
@東方にある関所。特に京都の東にあったことから逢坂の関をいう。
A関東のこと。鎌倉幕府をさすことがある。
とありましたので、東北→関東に修正しました。(令和3年(2021)5.8)
今後も読み返してみて、気が付いた点がありましたら、訂正していきたいと思います。
管理人は、顕家様の上奏文は、現代でいうシビリアンコントロール的な考えで述べているのでは?と解釈しています。
(この時代に政治にかかわる人は、一般人から選ばれた人ではないので、文民統制というよりも、文官統制と言った方が近いのかもしれませんが。)
例えば、いわゆる上奏文第一条で述べている地方組織は、陸奥将軍府のように、
将軍職=親王、その下の○○守=高官の公家、その下に有力武士や公家
を配する考えだったのでは?と思っています。
そう考えると、
“速やかに人を撰びて” は、“皇族及び公家の中から” の前提があるのではないか?と思うのです。
顕家様は公家なので、確かに顕家様の主張は公家本位に偏っている面は否めません。
また、その後の、室町幕府による統治→戦国時代→江戸幕府 という武家中心の歴史の流れからすると、時代遅れというか時代の流れに逆行していると見る人もいると思います。
でも、それはその後の歴史を知っている後世の人間が、俯瞰的に見ることができるから言えることだと思うんですよね。
なので、顕家様ファンとしては、「顕家様の上奏文は素晴らしい!!」と言わせていただきたいです(笑)