孫子@
『孫子』は、 今から約2500年前、紀元前500年頃の中国春秋時代に呉の国王 闔閭(こうろ)に仕えた兵法家 孫武が著したとされる中国で最も古く、最も優れた兵書と言われています。
日本で『孫子』と言えば、もっとも有名なのが“風林火山”ですね。
戦国時代の武将 武田信玄が「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」と書いた旗指物(軍旗)を使用していたということで、知られています。
日本で有名な「風林火山」ですが、これは13編からなる『孫子』の<軍争篇>(第七)に書かれている一部の文章の略称でなんですね。では、元はどのように書かれているかといえば、
| 原文 | 読み下し文 |
| 故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、 不動如山、難知如陰、動如雷震、 掠郷分衆、廓地分利、懸權而動 |
故に其の疾(はや)きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如く、知りがたきこと陰の如く、動くこと雷の震うがの如くにして、郷を掠(かす)むるには衆を分かち、地を廓(ひろ)むるには利を分かち、権を懸けて而(しか)して動く。 |
| <訳> ゆえに、風のように迅速に進み、林のように息をひそめて待機し、火が燃えるように侵攻し、山のようにどっしりと落ち着き、暗闇のように敵には味方の実態を分かりにくくし、雷鳴のように激しく動き、村里をかすめ取る時には兵を分散させ、土地を広げるときにはその要点を分守させ、万事についてよく見積もりはかったうえで行動する。 |
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参考資料:『孫子』(岩波書店)、『まんがで身につく 孫子の兵法』(あさ出版)
ネット上では、“あの!武田信玄が使う200年以上も前に、北畠顕家が風林火山を旗印として使っていた!” と書かれていることが多いです。
このことについては、管理人が顕家様ファンになって、そんなに経っていない頃に知ったので、ネットに書かれ始めた時には、「ようやく知られるようになったのね〜」と嬉しく思ったものです(笑)。
しかし、管理人が“顕家様が使用した”というのを知ったのは、『花将軍 北畠顕家』(横山高治)からだったのですが、この項を書くにあたって、その本を見直してみました。
すると、掲載されている写真には「伝 北畠親房使用の軍旗」と書いてあるではないですか!
ということは、軍旗として“風林火山”を使ったのは顕家様ではなくてお父様の親房なのかも・・・という気がしてきました。
とはいえ、阿部野神社に「北畠親房使用の軍旗」が伝わっているのは確かですし、『花将軍 北畠顕家』に書かれているように、
“親房が孫子の兵法に学んで作らせ、はるばる送り届けた”という可能性がないとは言えないと思います。
なので、顕家様が「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」を旗印として使用していたという確証はないですが、「可能性はある!」と思います。
ファンとしては、「使っていた!」と言いたいですけどね。
そして、北畠家が“代々和漢の稽古を業として” いた以上、蔵書の中に『孫子』はあったと思いますし、少なくとも親房は読んでいたはずですので、きっと、顕家様も読んでいたと思っています。(もちろん本来、文官なので、教養として読んでいただけでしょうが・・・)
(もう少し、『孫子』について書きたいのですが、とりあえず第一弾としてアップしました。)