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この方のことは、最近まで(平成22年3月初旬)知らなかったのですが、『系図纂要』に、“結城親朝養育 安東太郎貞季妻”と書かれている顕家様の女(むすめ)の生母にあたる方のようです。(系図纂要その1参照)
管理人は、この女(むすめ)の生母が正妻の日野資朝の女(むすめ)と思っていたので、萩の局の存在を知ったときには、大変、衝撃的でした。(もちろん、萩の局も松代の方と同様に、伝説なのかもしれませんが・・・)
結城親朝に養育された顕家様の女(むすめ)がいることは、『北畠氏の研究』(大西源一)の年表に下記の記述がありますので知っていましたが、
| 延元4年 | 2月22日 | 親房、書を結城親朝に与えて、宗広の逝去を悼み、父に継いで忠節を尽すべきことを諭し、猶、春日中将顕国の下向を告げ、併せて顕家の女を託す |
| 4月12日 | 官軍、下野宇都宮及小山の賊軍を討ちて之を破り、春日顕国も亦常陸中郡城を攻めむとす、是日親房之を親朝に報じ、更に陸奥の通路を開かしめ、且つ諭すに恩賞のことを以ってし、又陸奥依上保を以って、顕家の女の養育料所に充てしむ | |
| 興国2年 | 閏4月29日 | 是より先顕家の息女親朝の許にあり、是に至り、親房之を顕信に託せむとし、親朝と護送の方法を協議す |
この文面から私は、顕家様の女(むすめ)を京から下向させるから、親朝に「よろしく頼む」と言っているのだとばかり思い込んでいたのですね。
でも、考えてみれば、この時期には親房は既に常陸に来ているのですから、顕家様の女(むすめ)は常陸の親房の近くにいて、そこから結城親朝に預けられる方が自然な気がします。
となると、京にいる日野資朝の女(むすめ)が産んだ子供と考えるよりは、奥州にいた愛妾の誰かの子供の可能性が高く、それが、この萩の局だったのかもしれません。
<追記(2010.5.2)>
ネット上には、「萩の局=行岡(浪岡)右兵衛太夫秀種の女(むすめ)=北畠顕成の母」とされているサイトもあります。
この説でいくと、『系図纂要』における“行岳右兵衛大夫女”=浪岡秀種の女(むすめ)=萩の局となりますね。
そうなると、萩の局が “結城親朝養育 安東太郎貞季妻” となった娘と “顕成”
の両方の母である可能性がでてきます。
管理人は、安東太郎貞季妻となった娘の母親と顕成の母親が同じなら、『系図纂要』に
“母 同” という記述があるのでは?と思うので、萩の局と“行岳右兵衛大夫女”は、違うのでは?と思ったのですが。
しかし、この時代、女性についてはあまり詳しい記録が残されていないので、同母の可能性も否定は出来ないですし・・・。
この件については、今後の課題にしようと思います。
資料:『系図纂要』、『北畠氏の研究』(大西源一)、その他ネット上での検索