北畠顕家の母

顕家様のお母様に関しては、『伊勢 北畠一族』(加地宏江)には不明とあります。
また、『花将軍 北畠顕家』(横山高治)には、日野家の出身とあります。
そして、『系図纂要』には、“従一位行子 中納言藤為行卿女”(系図纂要その1参照)と書かれています。顕家様の子孫について書かれているページにも“従一藤行子”(系図纂要その2参照)と書かれているので、藤原為行の女(むすめ)の行子と言う方に間違いないでしょう。
日野家は藤原氏に属しますので、『花将軍 北畠顕家』(横山高治)に書いているように日野家の出身だったとしても、系図には “藤原” と書かれていてもおかしくはないですね。

顕家様のお母様が、どのような方だったのかは、全く分かりませんが、もし、“北畠顕家美少年説”が本当だとすれば、「顕家様は母親似なのではないか?」と管理人は思っております(笑)。(私は美少年説を否定しながらも、美少年であって欲しいと思っています。→「顕家様は美少年!?」
あと、藤原為行ですが、ネットで検索すると、“後伏見院 正和3年6月10日 前権中納言藤原為行を関東へ発遣する”
が、挙がってきます。同一人物かどうかよくわからないのですが、時代的には合っていますね。
だとすれば、持明院統の後伏見院に仕えていた事になるので、夫の親房が大覚寺統の後醍醐天皇寄りであることで、気苦労があったかもしれません。

資料:『系図纂要』、『伊勢 北畠一族』(加地宏江)、『花将軍 北畠顕家』(横山高治)、『内乱の中の貴族』(林屋辰三郎)、その他ネット上での検索


平成22年(2010)3.11