顕家様の刀は、正宗のように美しく、しかも斬れ味も非常に優れた太刀か〜。
ふっふっふ、美しい上に斬れ味がいいなんて、ま・さ・に、顕家様にふさわしい太刀と言えるでしょう!

と、いうのも、顕家様のお誕生日の文保2年3月2日(旧暦)を太陽暦に変換した1318年4月3日で、ネット上の無料鑑定(占星術)をやってみたところ(どのサイトだったか分からなくなってしまったのですが)、

“人の前に立っていないと気がすまないタイプ”
“学校では優等生、就職先は一流企業、持物はブランド品。スポーツ全般も万能”
“生まれながらに、ゆたかな能力と個性を与えられていて、果敢な挑戦が似合う。”

と出ておりまして、持ち物はブランド品というところに、志津三郎兼氏の太刀がぴったり当てはまるような気がしませんか!?


結論:
顕家様がお持ちの刀は、大業物に分類できる斬れ味の優れた太刀で、その美しさは名刀の誉れが高い正宗に匹敵するものであり、顕家様の所有物としてふさわしい一品と言えるだろう。
(キャッ!)














ここまで、盛り上げていて、申し訳ないのですが、北畠清泰さんの文章によると、この志津三郎兼氏の太刀は、顕家様が、紀州 龍門山の戦いの時に所持していたとあります。
しかし、現時点で管理人が知る限り、顕家様は龍門山で戦ったことはないんですよね〜。
紀州の龍門山とあるので、おそらく紀ノ川近くの和歌山県粉河町にある龍門山だと思うのですが、ここは顕家様の第二次長征ルートよりも少し南よりだと思います。(第一次長征では、紀伊半島方面は通っていませんしね。)
まあ、私が参考にしているのが『歴史群像シリーズ 戦乱南北朝』(学研)ですので、これに反映されていない戦いがあったのだとすれば、話は別ですが・・・

もし、今は行方知れずの「伝 北畠顕家の長刀」が見つかれば、本当に顕家様が持っていた可能性があるものなのか、是非とも専門家の方に鑑定していただきたいものです!