♪ イメージソング? ♪
後村上天皇 編


人物事典では、“我慢強い子”として取り上げました義良親王こと、後村上天皇です。
イメージソングとして『僕等 バラ色の日々』(鬼束ちひろ)をあげるところが“管理人の趣味丸出し!”って感じですが、この曲を聴いた時に後村上天皇がイメージが浮かんでしまったんですから、まあ、仕方がありませんね(笑)。

鬼束ちひろさん(作詞・作曲・歌)は、この曲について、“明るい絶望”とか、“頭の上でバラの花びらが渦を巻きながら舞っているイメージ”とかコメントされているのですが、“明るい絶望”と言う言葉が、なんとなく後村上天皇の置かれた状況に繋がるような気がするんですね。
(ちなみに、『僕等 バラ色の日々』はYOU TUBEのこちらで聴けますので、どうぞ!)
http://youtu.be/PrBTXsXY8Hk

人物事典と重複してしまいますが、義良親王は6歳の時に、北畠親房・顕家とともに奥州統治のために下向します。
母親と離れ、住み慣れた京を離れるのは、辛く寂しかったと思うんですね。
奥州に着いてからも、おそらく同じ年頃の子供なんていないでしょうし、例えいたとしても、地元の公家や武将の息子達だったりするわけで、方言で話をされると、「何を言ってるのかさっぱり分からん」状態だったのではないかなーと、想像するわけです。
そうなると、自分に一番近い年齢で、言葉が通じるのは顕家様しかいないわけですね。しかし、顕家様は執務が忙しくて、相手をしてあげたくてもそれが出来ない。

♪君が泣くように笑うから 求めるような事は出来ないのを 覚えた♪

“我慢強い子”の義良親王は、顕家様に遊んで欲しくても、ぐっと我慢していたに違いない〜!と、妄想してしまいます(笑)
それで、勉強と言う口実があれば、わずかでも時間を作って相手をしてくれるだろうと考えた義良親王は、

♪優しい声で歌い合えるのを 試した♪

と、和歌の勉強にかこつけて顕家様に時間を割いてもらったに違いない!!・・・などと妄想がさらに膨らむわけです(^^ゞ