♪ イメージソング? ♪
北畠顕家 編
| 以下の文章は、『茨の海』(鬼束ちひろ)を聞きながら、もしくは歌詞を参考にされながら、お読みになることをお勧めします。 とりあえず、You Tubeより引用しました。 歌詞だけならネットで『茨の海』を検索してみてください。 |
顕家様は、奥州に赴任して以来、奥州の反乱軍を制圧し、政治機構を整えて統治をしました。
それは、決して楽にできることではなかったはずです。
それだけでなく、足利尊氏討伐のために2度も奥州から軍を率いて上洛を命ぜられました。
顕家様も、それに従う部下達も、その命令を果たすために命を懸けて戦いました。
それなのに、後醍醐天皇といえば、内裏の造営をすると言い出したり、法律をコロコロ変えたり、昇進や恩賞がでたらめだったりと、めちゃくちゃな政治を行っていて、顕家様が憤りを感じるのも無理はないと思うんですよね。
奥州の地で顕家様は、ずっと後醍醐天皇に失政を改めてもらうべく、諫奏したかったと思うんです。
それでも、顕家様は「君 君たらずとも 臣 臣たらざる可からず」と自分に言い聞かせて、我慢していたのではないでしょうか?
「諫奏したい、しかし、それをしてはならない」とジレンマに陥りながら、天皇自らが過ちに気付いて、それを改められるのを願っていたのではないでしょうか?
しかし、2度目の長征で、青野ヶ原の戦いでの激戦、般若坂での激戦の末の敗戦・・・と、多くの兵を失った時、顕家様を縛り付けていた呪縛「君 君たらずとも 臣 臣たらざる可からず」は燃え落ちてしまったのではないでしょうか。
たくさんの部下の屍、燃え盛る民家・・・これらを眺めながら、強い怒りと、悲しみの涙を心の中で流していたと思うんです。
〜貴方の放り投げた祈りで 私は茨の海さえ歩いてる 正しくなど無くても〜 (『茨の海』より)
以下は、『茨の海』の歌詞と、私の想像する顕家様の気持ちをリンクさせた文章です(笑)
なお、顕家様に関する簡単な年表を作りました。顕家様の苦難の参考になるかと思います。
→年表
「後醍醐天皇、貴方の放った命令で、私は苦難の道を歩いている・・・
貴方の目指す“天皇親政”の国をつくるために。
奥州統治、尊氏討伐のための2度の長征・・・
敵だけでなく多くの味方、そして、多くの民を犠牲にして。
たとえ、それが正しく無いとしても。
まるで“茨の海”を歩くように・・・」
「この泥沼の内戦は、いつ終わるのかさえ分からない。
鎌倉幕府を倒した時に感じた新しい時代の風、政権を取り戻した時の天皇の笑顔、あの希望に満ちた時の思い出を掬い上げても、今、自分の中で叫ぶこの想いは消えない。
どれだけ理想と言う美しい花で飾ってみても、実態が腐っていれば、それは簡単に崩れてしまう。
どうか、ここにしたためる上奏文が、天皇の心に響いて、理想に燃えていた頃の後醍醐天皇に戻って欲しい。」
顕家様は、節にそう願っていたと思います。
・・・そして顕家は、後醍醐天皇に訴えるべく、筆を執った・・・