♪ イメージソング? ♪
北畠顕家の妻(日野資朝の女)編

以前から、「顕家様を取り巻く女性達」や他のところでも述べていますが、顕家様を取り巻く女性の中では、管理人は正妻の「日野資朝の女(むすめ)」を贔屓しております。

贔屓の理由は、“史実ではなく、物語である” と言われているので根拠にはなりにくいのですが、『吉野拾遺』に書かれている「日野資朝の女(むすめ)」から受ける印象が、顕家様との夫婦仲が良かったように思えるからなんですけど・・・。

さて、イメージソングのトップページで、「曲も、歌い手も聴いた事がない」と思われる方が多いかもしれません。
この方の曲は、ニコニコ動画で知ったのですが、なんだか私の妄想する顕家様の正妻のイメージに合っている曲が多いので、すっかりファンに(笑)
以前、『Dear』という曲をブログで紹介したこともあるのですが、イメージソングコーナーでは、この『Birth』を取り上げさせていただきました。

http://19soundfactory.web.fc2.com/html/Sound.html

“なぜこの曲がイメージソングとなるのか?” を語る前に、顕家様と日野資朝の女の関係について、管理人の妄想を説明しなければご理解いただけませんので、まずは延々と妄想を語らせていただきます(笑)

大錦号の妄想する、顕家様と日野資朝の女との関係

なぜ、この二人が結婚したのか?

後醍醐天皇が薦めたのではないか・・・と私は勝手に妄想しています。

日野家は、家柄としては申し分ないとは思うのですが、北畠家にとって日野資朝の女との結婚が得かどうかを考えると、そうでもないような気がするのです。
と、いうのは、元亨3年(1323)1月に北畠親房が31歳で権大納言になっているのに対して、日野資朝は34歳で従三位となっていて、親房の方が位は上ですし、資朝は元亨2年(1322)11月に父親から義絶(勘当)されています。
北畠親房は、一番期待をかけている顕家様の結婚相手は、それはそれは良い家柄のお嬢さんを希望していたと思うのです。
なので、「家柄は良くても、親から勘当されたような男の娘を、自慢の息子の嫁に貰おうと思うだろうか?」と疑問に思うのです。
しかし、この結婚が、後醍醐天皇から薦められたものであったら、全く意味が違ってきます。
ということで、北畠家、つまり顕家様の父である親房が了解したのは、日野資朝の女との結婚は、後醍醐天皇の口添えがあったからではないでしょうか。

北畠家の皆様は彼女のことをどう思っていたか?

舅となる親房はこの結婚を面白く思っていなかったかもしれませんが、後醍醐天皇が口添えしてれば、彼女を粗末に扱わないでしょうし、邪険にもしなかったと管理人は思っています。

姑に当たる顕家様のお母様は、もし、「顕家様を取り巻く女性達」で書いたように、実家と嫁ぎ先との板ばさみで悩んでいたのであれば、嫁となる日野資朝の女の立場にも理解してくれたかも・・・と期待しております。また、お母様も日野家の出身である可能性がありますので、血筋としては遠いかもしれませんが、親戚に当たるのかもしれませんし。

そして、顕家様の弟妹については、イメージソング「蛍」のおまけのページで管理人の大いなる妄想を述べましたが、キーパーソンである顕家様の妹の顕子ちゃんが兄嫁を喜んで迎えた以上、誰も文句を言わなかったことになっております(笑)。

日野資朝の女の性格は?

自己主張をあまりしない、おとなしいタイプの女の子だった、というイメージを持っています。

というのは、「顕家様を取り巻く女性達」に書きましたが、日野資朝の女は顕家様と結婚するまでは、子供ながらも、大変肩身の狭い思いをしながら生きていたんではないかと思うからです。

また、『吉野拾遺』に、日野資朝の女の歌が何首もあることから、“歌を詠むことが好き” というイメージを抱いております。
(まあ、『吉野拾遺』が物語である以上、本当にこれらの歌を詠んだかどうかは分かりませんが)

顕家様の好みのタイプは? これも、妄想でしかないのですが、顕家様は、阿野廉子のようにしゃしゃり出るタイプは嫌いなのでは?・・・・(笑)

顕家様が、死の1週間前に書いた上奏文に、「卿士・官女および僧侶のうち、多く機務の蠧害(とがい)をなし、ややもすれば朝廷の政事を黷(けが)す。」と書いているのは、あくまで政務を蝕み、政治を汚す輩を嫌悪していただけで、しゃしゃり出るタイプの女性を嫌っているわけではないのですが、管理人の妄想では「私が!私が!」と、自己主張の激しい女性は好みではないとなっています(笑)

ですから、小さい頃から人目をはばかって、ひっそりと生きてきたであろう日野資朝の女は、好感を持って迎えたと思うのです。

それから、顕家様の詠んだ歌というのが残っていないので、“顕家様は歌が苦手” というイメージを持っています。
なので、さらっと歌を詠む日野資朝の女を高く評価していたかも・・・と思っています。
顕家様との夫婦仲は? 管理人はサイト内で、何度も「日野資朝の女を贔屓している」、「顕家様とは仲が良かったはず!」と書いているのでお解りでしょうが、夫婦仲は良かったと思っております。

管理人が日野資朝の女を贔屓するのは、『吉野拾遺』におけるイメージから来ています。
これも何度か書きましたが、『吉野拾遺』は歴史書ではなく物語ですので、書いてあることがどこまで事実を反映しているのかは分かりません。でも私は、彼女は顕家様を愛していたのは本当だったのではないかと思っています。

小さな頃から、目立たないように、ひっそりと生きてきた女の子。おそらく、世間的には存在を忘れられたというか、無視された存在だった女の子。
そんな彼女の運命が、顕家様との結婚で大きく変わったのでは?

中島みゆきの歌ではありませんが、「生きていてもいいですか」状態だったのに、結婚相手が史上最年少で参議になった期待の貴公子 北畠顕家。しかも天皇の口添え。
「形だけの結婚でも仕方がない」と覚悟して嫁いでみれば、どちらかといえば歓迎されている雰囲気・・・

その時初めて、自分の存在を認められたといいますか、「ここに居ても良いんだ」とか、「ここが自分の居場所である」と思え、大変嬉しく思ったのではないかと妄想しています(笑)。
日野資朝の女のその気持ちが、管理人の中で『Birth』の歌詞とリンクします。

♪夢に見ていた景色が 今ここにあるよ♪

上記で長々と書き綴った管理人の妄想を念頭に入れて、この『Birth』の歌詞を読んで下さい。

歌詞は、こちらで↓ご覧いただけます。

http://www5.atwiki.jp/hmiku/?cmd=word&word=Factory&type=normal&page=Birth