♪ イメージソング? ♪
南部師行 編


人物事典に書いておりますが、南部師行は暦応元=延元3(1338)5月22日に、石津合戦で敗れ、顕家の死に殉じました。
顕家と最期を共にしたのが、結城宗広でも伊達行朝でもなく、この南部師行だったということが、なぜか私を南部師行に惹きつけている理由でしょう(同じ理由で名和義高にも非常に関心を持っているのですが、手持ち資料には、師行・義高とも、ほとんど書かれていないんですよねー。義高なんて名前ぐらいしか・・・しくしく)

私は、師行は、自分の上官として仰ぐのに、その人の下で自分が能力を十二分に発揮できるような人物、そして発揮したいと思えるような人物を求めていたのではないか、と言う印象を持っているんですね。

師行が顕家の配下に入ったことは、建武新政下での成り行きだったかもしれません。
(この辺りをできれば調べて、詳しく書きたいとは思っているのですが、何分手持ち資料に師行の記述が少なくて全然書けません。
師行は顕家の奥州下向と共に奥州入りしたのか?それともそれ以前に既に何らかの形で奥州に地場を持っていた、もしくは既に奥州で生活していて、ある程度の勢力を持っていたのか?とか。
この辺りは相互リンクを貼っていただいております虎猫様が推察をされていますので、ご参考にされると良いかと思います。→奥州虎猫舘
また、鎌倉末期には、所領争いから南部氏一族が二派に分かれていたらしいのですが、その辺りの背景など・・・)

しかし、おそらく師行よりかなり年下であったであろう顕家の下で、津軽平定など顕家の奥州統治に尽力し、石津で最期を共にするほどの絆が生まれていたのは、顕家が、師行の望んだとおりの上官であったからこそではないかと思えてしかたがないのです(まあ、これは顕家ファンである私の願望&空想なんですが)。

ってなわけで、『地上の星』ですが、この歌詞を読むと、師行が理想の上官=“地上の星”を捜し求めている姿が思い浮かび、この曲が私の師行像に見事に合ってしまうんです。
それで、『地上の星』が南部師行のイメージソングとして、私のfavorit songの一つとなったわけです。

そして師行が、探し続けたその先には、顕家様と運命の出会いが・・・・! キャッ♪(どんな出会いなんじゃ!?)

それでは、『地上の星』を聞きながら、南部師行&顕家様を思い浮かべて下さいませ。

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