渓流保護ネットワーク 吉沢幸宣
2004年10月 台風による集中豪雨と、それに続く新潟での地震が島々谷にどのような影響を及ぼしたのか、調査を行った。 土砂の流出については、1999年の集中豪雨の時よりも少なかったが、流出場所などにはかなりの違いが見られた。
99年の時に土砂が流出した小嵩沢からは、あまり土砂が流出せず、前回あまり土砂が流出していなかった南沢がかなり荒れていたようである。いずれにしても、建設予定の北沢6号砂防ダムよりも下流もしくは、別の南沢から土砂が流出しており、どこから土砂が流出するかは不確定で予測することは難しい。jまた、3号砂防ダムの下流については前回ほどでないにしてもかなりの土砂が流出していた。気になるのは住宅地域のすぐ近く、一号砂防ダムの上に前回と全く同じ大きな崩れが見られたことである。二俣より上流に作られる6号砂防ダムの効果については、今回の調査でも疑問が残った。
さらに大きな問題として、土石流の通り道となる下流に新たな建設が行われている事が上げられる。土石流の通り道を避けて住宅や施設、設備を建設すべきである。
また、今回は台風による大雨の他、隣県の新潟で震度6の大きな地震が続けて発生し、松本近辺でも震度3以上の揺れが何回も発生したが、大型の砂防ダムであればあるほど地震によるダム崩壊の危険による新たな被害が心配される。(こうなると人災とも言える)
ダムを造り、それまで人があまり住まず、利用しなかった危険な場所の土地利用を進める事をなぜ改めることができないのであろうか。その危険な土地を利用し続けるためには数十億、数百億の防災設備を作り、メンテナンスをし続けなければならないのに(今回の台風でも、築30年の防波堤が壊れて大きな被害が発生したとのニュースが流れていた。従来の方法では、今後はコンクリートの寿命も考慮したメンテナンスが必要になるが、それは市町村の財政負担になることが予想される)。
長野県では田中康夫知事のもとで、このような砂防ダムや堰堤を造らなければ住めないような危険地帯からの移転をすすめようとしている(信州・長野県における土砂災害対策のありかた)。これは国土交通省の最近の方向性にもあっている。しかし、これに反対し、従来の方法を継続し、危険地帯の土地利用を進め、危険だからと国からの莫大な補助金をもらって砂防ダムを次々と建設しようとする運動が防災の名のもとに盛んに繰り広げられている。これでは、いくら消費税を上げて税金を集めても穴のあいたバケツのごとく、失われてしまう。
もし、その地域の税収で砂防ダムを建設・維持するような地方分権に変わった場合に、果たして現在砂防ダム建設を推進している市町村長や議員の人たちは、危険地域に住むために莫大な税金を投入し続けるであろうか。 その村や町に住む納税者も黙ってはいないと思われる。
砂防行政のはじまる百年前のように、災害の経験を生かし、安全な場所に住み、危険な場所は土地利用をしないという、当たり前の姿に変わってゆくことを期待する。
写真1 1号砂防ダム上部
前回は道路も削られるほどの被害があった一号砂防ダム上流部は、今回は大きな影響はあまりなかった。
写真2 1号砂防ダムの少し上 前回(99年)も道が流されていた箇所
写真3 発電所上流の左岸の崩れ(道路側)
写真4 小さな崩れ(左岸=道路側)
写真5 崩れ(左岸=道路側)
写真6 崩れ(左岸=道路側)
写真7 3号砂防ダム
前回(99年)の大雨の時は3号砂防ダムのすぐ上流の小嵩沢との合流点で土砂の高さが二メートル以上も差があり、支流の小嵩沢からの土砂流出のすごさを感じたが、今回は本流との土砂流出の差はほとんど分からなかった。
写真8 小嵩沢との合流点(今回は本流との土砂流出の差はあまりなさそうである)
写真9 崩れ(左岸=道路側)
写真10 崩れ(左岸=道路側)
写真11 崩れ(左岸=通路側)
写真12 崩れ(右岸=通路側)
紅葉
写真13 崩れ(大) 右岸(道路側)
写真14 崩れ(大) 右岸(通路側)
前回(99年)の調査では、3号砂防ダムの上流に行くに従い、川の水が澄んできたが、今回は濁りが上流まで続いていた。
二俣の紅葉 この少し先に、北沢と南沢の合流点がある
北沢に入ると、水が急に綺麗になった。三号から二俣までは濁っていたことから、南沢が原因ではないかと予想される。
写真15 4号砂防ダム
写真16 4号砂防ダム上流 (右岸 通路の反対側)
写真17 5号砂防ダム上流(6号トンネルのための廃土)
写真18 5号砂防ダムの上まで歩いて行けました。
写真19 北沢と南沢の合流(上が北沢、下が南沢
写真では分かりにくいが、下の南沢がにごっている
写真20 北沢(上)と南沢(左)の交流点
下が濁っていて、上の北沢は清流。今回は南沢で土砂崩れが発生していると予想される。
上高地から下ってきた人の話からも、もだいぶ崩れていたようである。