九州視察 簡単報告 その3 土砂災害現場のその後

渓流保護ネットワーク・砂防ダムを考える 田口康夫

 今回は10年前(1997/07)と5年前(2003/07)に起きた災害現場のその後を見るために針原川(97年7月死者21名、鹿児島県出水市)、集川(03年7月死者15名、熊本県水俣市)の災害現場を訪れた。まずは亡くなった方たちのご冥福を祈り現場に入った。
 両者は土砂災害防止法(ハードの限界を前提にしたソフト対策や土地利用の規制を含んだもの)のできる前と後の出来事であるが、集川(水俣市)ではこの法律が有効に働いた証を見ることはできず、両者の災害復旧担当者(市、県、国)の当時の認識に差があったことを見て取れた。
 災害の原因はこの地域一体の山が阿蘇岳の火山溶岩・灰など(安山岩溶岩、凝灰角礫岩)が堆積したところで、非常にもろく崩れやすく、滑りやすい地質であるところに大量の雨が降ったことである。大量の雨といっても九州地方では想像も付かないような雨ではなく、危機管理の足りなさが災害を大きくした側面は否定できない。人は、3、40年何も無ければ過去のことを忘れてしまう。昔ならば地元住民が危なくて住まなかった所に土地利用を拡大させてしまった。本来なら行政や専門家がこのような場所での土地利用を規制していかなくてはならない場所であるのだが。
 針原川と水俣川の距離は8km前後、実際、針原川災害時の降雨は水俣市を含め3日雨量で400〜500mm降っていたが、このときは針原川周辺に大土石流が起き、水俣集川周辺では起きていない。同量の雨でも山中での降り方や地盤の状態によって土石流が起きる・起きないが微妙に変わってくる。災害が起きていない場所でも、何時同じようなことが起きても不思議ではない地域であることが見て取れる。


針原川(鹿児島県出水市)


写真90

写真90:災害当時の航空写真、茶色の土石流跡の始まりは沢の中流上部にある。沢の両斜面一帯は水が染み出るくらいの地すべり地であり、沢の底部、すべり面の下につくられた溜池、作業道が川となりすべり面下部を侵食したためなど、多量の雨のもと様々な要因が重なり、支えを失って滑ったといわれている。そう考えると今後も沢に面した山腹の何処が滑っても不思議ではないことも想像が付く。今はみかん畑になっている。


写真92:最下流部のダムとその下の住宅地。


写真99

写真99:支流の左の沢のダム。14m級のダムが本流3基、支流2基の計5基入っていた。


写真00

写真00:すべり面の周りも含め、流域全体の森林は当時のままで間伐も入っていなかった。土石流の起こる要素を持った流域で森林整備も行われていない現状は致命的でもある。


写真85

写真85:災害前に造られていた14m級のダム天端の傷み、土石流の直撃を受けた傷とショックを緩和する古タイヤ防護策。造られて11年足らずでコンクリートの劣化は進んでいた。
 被災者の多くは前兆現象を感じ取っていたことが後の調査でわかったが、このダムが造られたことにより下流域の住民の危機意識が弱まり非難が遅れてしまった。


写真82

写真82:土石流センサーが設置されていた。土石流の流下速度からみで間に合うのか心配になる。

 針原川の場合、土砂災害防止法のできる前の出来事であったが、被害当時の場所への住宅の再建築はされていなかった。


集川(熊本県水俣市)


写真32:慰霊碑


写真33 集地区の復興概要


写真34

写真33、34:災害当時の航空写真と復旧工事概要図。


写真36 土石流の通り道に住宅再造成

写真36:写真33の写真を見て分かるとおり、災害時に土石流が流れた川幅ははるかに大きかった。復旧後の川幅は10m弱くらい、川からあまりにも近いところに住宅地が再造成されている。建造された砂防ダムが満砂状態になれば土砂調節量はかなり減る。この状態時に滑りを伴った大きな土石流が起これば同じ災害を繰り返す可能性もある。谷スジは土石流の通り道、想定外の土石流だったという言い訳は通用しないはずだが。


写真54

写真54:土石流の始まり地点のすべり面跡、写真33下右の最も上流の右岸が滑った。


写真55

写真55:災害が起き10年超経つが、すべり面周辺の森林整備は進んでいなかった。ここ以外のところもでも同様に森林整備が進んでいない、これは致命的なことである。ハードのお金を少し回せば十分可能なはずだが。

 当時、水俣市役所の総務課の人と話した時は、被害の起きた場所への再建築は避けたいといっていたのだが、土砂災害防止法ができた後でもなぜか被災した場所への再建築が許可されていた。災害の教訓はなぜ生かされなかったのだろうか?

 針原川と集川の災害復旧にこのような差が生じている原因は、災害復旧工事費などを出す国の指針がハード優先であるからである。土砂災害特別警戒区域の指定が都道府県知事に委ねられていることも一因かもしれない。このような災害を2度と出さないという立場にたてば、復旧費の使い方にもう少し工夫をしなければ意味が無い。土石流の起こる確率は、同じような条件ならば起こったところよりも起こっていないところのものが高くなる。砂防の平均整備率が20%という現実の中では、ハード優先的な考え方を改めた復旧費の有効な使い方を考えていかないと、お金がいくらあっても足りなくなる。

 今年6月に長野県白馬村の峰方地域の土砂災害特別警戒区域の解除が行われた。今回の視察を含め、土砂災害防止法の意味を国民全体で考えていかなければならない状況になっているのではと思わざるを得ない。

・・・・次回に続く。