もっと自然に溶け込めないものでしょうか

ー 南信州 阿南町の千木沢川と門原沢川を見て ー           巽朝子

【千木沢川】

 春とは名のみの2月19日、伊藤さんの案内で阿南町の千木沢川を見せてもらいました。松本周辺でも、少し山に入れば小さな渓流はいつくもありますが、わずか1Km程残されたこの千木沢は、様々な渓流景観を持つ美しい川で、それも人里の中にあります。アマゴがいるという清流はいくつかの滝を流れ落ち、静かな渕へと流れていきます。

  

長野県 阿南町 千木沢の滝

 けれどもその下流はありふれたコンクリート護岸になり、目を上げれば、土石流の通り地となる危険な場所に、まだ新しい保育園と何軒かの家があり、阿南町の幹線らしい道路が川を横切っていました。

危険な場所に造られた保育園

 何とかの渓流を後世に残そうとがんばってこられた伊藤さんの努力にもかかわらず、これらの施設などを土石流から守るという理由でついにここにも砂防ダム2基が入ることになりました。図面もすでにできていますが、ここを見せていただいた私としましては、もう少し良い方法がないものかと思うことしきりです。砂防ダムが入ればこの美しい景観の大半が失われて、人間がそれを造り出すことは不可能ですから。

 この川の左岸から「お滝」という高さ15mほどの滝が落ち込んでいます。光沢のある黒い岩の表面を流れる水が白く光るつららを作っていてみごとでした。工事はこの「お滝」にかかってしまいます。「もったいない」と思います。

 大変感心しました事は、何代にも渡ってなされてきた護岸です。地中深く根をおろす欅と縦横無人に根を伸ばす竹との組み合わせでしっかり護岸が考えられてきたことは欅の太さを見てもわかります。左岸上部が道路になっていて、その道路沿いに旧集落の家があり、左岸斜面からの崩落を止めてほしいというのが当初の要望だったそうです。鞍かけ蛇篭やフトン篭、あるいは植物とそれらとの組み合わせなどで何とかならないものでしょうか? 地層でるとここは第三紀層でカキや二枚貝の美貝の化石も出ています。深山幽谷に入り込まなくても身近にこんなきれいな小渓流があることで人はどれほど心和み疲れが癒されることでしょう。


【門原沢川】

 いく筋かの谷あいが急に開けて、小規模な谷底平地になっている場所に、かじか温泉との付属施設ができています。本来ならそういう場所は、狭い谷間を流れて来る川が、パッと広い場所に出て自由に走り流れる氾濫原で、伊藤さんによれば、ここは数十年前8畳ほどの巨岩が火花を発して転がって行った所とか。



河川の氾濫原に造られたかじか温泉などの施設

 温泉、土産物店、食堂、キャンプ、宿泊施設等が並んでいて、まず感じたのは、お世辞にも美しいとはいえない川の景観はともかく、キャンプ施設などがある場所と、河床の高さがあまり違わないので「水が出たとき、こわいなー」。

 上から見渡せばその平地に流れ込む谷川には砂防ダムがちょうど平地への流れに栓をしている様な感じに見えます。一つは鋼製のタンクを三つ並べたようなオープン型のダムで周囲の景観とはマッチしようがありません。

オープン型の砂防ダム

 農林業が停滞して町や村に元気がない現在、こんな形で日本各地に温泉が掘られ、人々が憩う場所となっていることはそれはそれで意味のあることでしょう。


【まとめ】

 自然を大事にしながら治水を考えていくにはどうすればいいのでしょう。ここでどうしても考慮に入れなくてはならないのが地球温暖化による気象災害です。予想以上に急速な温暖化が進行中で、スイスアルプスの氷河は30%減少しているとの報告があります。1990年代に入って世界各地で大雨による洪水、土砂崩れが起きていて、特に1993年にはアメリカのミシシッピ、ミズーリ、中央ヨーロッパのライン、スイスのサルティナの各河川が大洪水、その後中国の長河や最近ではフィリピン、モザンピーク、台湾などの被害も報じられています。ミズーリの場合は500年規模の大洪水の二年後に200年規模の洪水に再び襲われるという確率では起こり得ないような大規模起きてしまいますし、日本の余笹川の洪水も200年に一度の規模とテレビで報じていました。

 こういう状況から、アメリカや中央ヨーロッパでは、「人間は自然を征服する事はできない」という立場にたって川を押し込めて構造物で管理するという方法から、危機管理を含む、流域全体での管理へと大転換をしたという報告もあります。そこには何よりも危険個所への人間の進出を最小限にする事例をあげています。

 日本でも建設省には、災害を完全に防ぎきることはできないという立場から「減災」(被害をいかに少なくするか)へと視点を転換する動きが出ています。最後に新潟大学の大熊先生が12年前に出された『洪水と治水の河川史』−水害の制圧から受容へ− の中から引用させていただく文で締めくくりたいと思います。

「・・・水害を”完全になくす”ことはできないのである。しかも実現不可能な理想の追求が、いまや人間自身の存在基盤である自然を破壊する行為にまでなってきている。そうであるとすれば、その追求には制限を加え、ある程度水害と共存することが自然の新陳代謝が守られ共存の矛盾の中に人間的な文化を造りうるのではないだろうか。・・・病原菌をこの地上からすべて撲滅できないように、水害をなくすことが不可能である以上、免疫を得る方法を模索した方が懸命ではないだろうか。」