2008/09/14 渓流保護ネットワーク・砂防ダムを考える 田口康夫
赤谷の森は写真4の右奥の森、約1万ha(おおよそ見える範囲)を4つのゾーンに分けてそれぞれの目的に合わせて林相転換してゆく計画である。
写真4 赤谷湖(相俣ダム湖) 写真5 相俣ダム
赤谷湖(写真5)の右奥が赤谷の茂倉沢方面。このダム湖の底には5軒の温泉旅館が沈んでいる。今は正面の山腹に移転している。ダム堤体は幅20mくらいの細い渓谷に造られているが、ダムがなかったころは猿ヶ峡と呼ばれ絶景の景勝地であったとのこと。ダム堤から下を眺めながら、惜しいことをしたもんだとつくづく思うほどの岸壁が見られる。
写真6 小屋に住むムササビ 写真7 拠点小屋
写真7はプロジェクト推進のため調査研究に利用できる小屋で十名数が泊まれる。プロジェクトに協力する全国の研究者や市民団体が利用している。一応家財道具は揃っているので自炊できるとのこと。小屋の階段裏にはムササビの巣がありガラス板越しに眺めることができる。すっかり小屋の住人になっている。
写真8 法師温泉 写真9 クマにいじられたニホンミツバチの巣口
写真8 法師温泉の経営者もプロジェクトに参加しており地域協議会の代表を務めている。このプロジェクトのよいところは地元住民と環境団体、行政の3者が参加しているところ。ちなみにこの旅館は木造100数十年の年代物で予約が難しいほど繁盛しているとのことだった。
写真9 はこの旅館の脇にある杉の大木の洞につくられたニホンミツバチの巣を狙ってきたクマの引っかき傷。
写真10 広河原 写真11 取水工(高さ8mくらい)
写真10は茂倉沢と赤谷川の合流点で中央の谷が茂倉沢の出口となる。ここは川幅が一気に広がり土砂の遊砂地(調整地)となっている場所。この広河原の下流末端に写真11のようなほぼ満砂した取水ダムがある。もともとこの部分はかなりの狭窄部となっており、上流側が広大な自然の遊砂地となっている。この部分があるため茂倉沢の第2治山ダムの底抜けによる土砂流出でもほとんど問題なく土砂調節機能が働いている。なおダムの浚渫や排砂はしていないそうだ。
今後段階的に治山ダムを撤去していくことになるが、撤去することによってダムに溜まっている土砂や調節されるはずの土砂が下流に流れてくる。その時、広河原のような自然の遊砂地があることで、かなり土砂調節機能が
期待できることとなる場所である。
写真12 第2治山ダム 写真13 底抜けで流失して空になった空間
写真12は、撤去予定のダムで02年に右底部が抜け、6年経過して堆砂した土砂が流れ出た。現在は写真13の様に少しだけ残っている(高さ5mくらい)。撤去方法は中央部を基礎を含め取り除き袖部(左右の端)だけを補強して残すとのこと。外見は砂防で言うスリット型ダムに似た感じとなる。袖部を残す理由は、完全に取り除くとすれば斜面の中に入っている部分まで壊すこととなり、流れが当たった場合かえって不安定になり崩れを誘発することが予想されるからということだった。
この件に関しては疑問があるが、一つだけ私見を言うと、今後幾つかのダム撤去を進めていく場合、河床が下がることによって若干の崩れは生じてくる。この時それらの土砂量が全体の土砂量の何パーセントくらいになるかが問題で、部分的な土砂量にこだわっていれば本来の目的は達成できなくなる。自然渓流は崩れるところも当然あるはずで、それが災害原因になる可能性があるかを見ていくことが重要になる。もっと言えば災害につながる土砂流出は、多くの場合山腹崩壊が大きな原因であり、緑化の進んだ現在では治山ダムを入れた当時の山肌に比べ、雨による表土の移動がかなり少なくなっている。したがって、今の森林状況で災害が起こるとすれば、予想も付かない大きな山腹崩壊などが起こる場合であり、小さな崩れはほとんど誤差範囲に含まれる量になる。
今回の見学会に森林管理署の職員が同行してくれた。説明してくれた職員の渓流環境復元の話に情熱と意気込みが感じられた。
川辺川や淀川などに見られるように現場(地元、県や現場の委員会など)で決まったことに対し省の上から圧力がかかるようなことにならないよう、このプロジェクトをみなで評価し成功させさるよう協力したい。また各地域で同様なことができれば大きな風となるので、川などに興味のある環境団体などが、森林管理署に要望していくこともおおいなる連帯になるのではと思う。