郡上八幡の第6回渓流保護シンポ

 大変得るところの多いシンポでした。一つだけ1番印象深かったことをお伝えしたいと思います。
会場とのやりとりの中で、田口さんの話のあと、「今まで人が住めたところに人が住めなくなるのは、社会の進歩だろうか」という趣旨の問いかけがありました。
発言の内容から二つの面が考えられた。一つはダム建設で、もう一つは危険なところに住むべきでないという見地から、長年住んできたところに住めなくなる現状を訴えていた。

 これに対して田口さんからは、小谷の伝統的な知恵を生かして人々が住んでいる例があげられ、岐阜大学の篠田さんからは、「山でも過疎化したところでも、人が住めるような状況を作ろう」という意見がだされた。

 私の意見をいれて恐縮ですが、私はこれに賛成です。遠山川沿いの下栗地区を思い出しました。転がり落ちそうな急斜面で白菜やお茶が作られていた。見かけたのは高齢の人ばかりだった。思えばここに人が住んでいるからこそ、行政の手も届くし、郵便も届く。いってみれば会場からのこの問いかけは、単に、砂防問題だけでなく、市町村合併や、郵政民営化などにも関わる大きなテーマです。人口の高齢化に伴い、過疎化がすすめば、畑も森も人手が入らなくなり、結果として生態系の多様さも失われていくのではないかと懸念されます。そんんなわけで砂防問題は一筋縄ではいかないなーと、またまた思わされた次第です。