ダム・河川問題(二風谷ダム、矢臼別など)

稗田 一俊

「ぶぉ〜〜〜〜〜ん!、ぶぉ〜〜〜〜〜ん!」二風谷ダムからの緊急放流の不気味なサイレンが未明の平取町の闇の夜に響き渡り、「う〜〜、う〜〜…」消防や警察の車両が行き交う騒音にただならぬ気配を感じて目が覚めた。
「消防署からお知らせします。二風谷ダム決壊のおそれが出てきましたので、住民のみなさんは公民館並びに高台に避難するようにして下さい。」
「二風谷ダム決壊の恐れ」の音声に耳を疑った。かなりの音量で広報車がホテルの前を通り過ぎ、住宅街を回っているのだった。すでに雨が上がっていた。私はアナウンスだけでも記録しておこうと暗がりに向かってビデオカメラを回し続けた。
 川から離れ少し高台の旅館に投宿していたから堤防決壊くらいなら大丈夫と思っていたが、「二風谷ダム決壊」となれば話は違う。満々と水をたたえた巨大な二風谷ダムの堤体が崩壊、満水の水が怒濤のごとく押し寄せたら建物などひとたまりもない。破壊力は想像することもできない恐ろしさだろう。時間は午前2時を回っていたが皆を起こし、「ふれあいセンター」へ緊急避難。しかし、ここでもダメだと言われて、さらに高台の小学校まで移動させられた。緊迫した事態にこれはもう人の想像や予測を超え、どんな危機管理対策を持ってしても人が対応できるシロモノではないと感じた。
 だが待てよ、二風谷ダムは人間が生み出した建造物である。洪水を防ぐ治水の目的で莫大な税金七百数十億円をかけて建設されたダムなのだ。なのに、そのダムがまさに人々を脅威のどん底に陥れる構図ではないか。巨大な二風谷ダムがコントロール不能になった時、人間はなすすべもなく、ただただ指示されたとおりに逃げ回るしかないことが判明したではないか。
 これが2003年8月9日から10日にかけて日高地方を襲った台風10号被災現場の状況である。私たちは北海道自然保護協会主催の「川のしくみと平取ダム」の勉強会を8月9日の19時から平取町内のホテルで開いていた。会が始まってから台風10号による影響で、雨あしが強まり、バケツをひっくり返したようなゴーーーーーと言うほどの大雨に変わっていた。このまま雨が降り続くなら沙流川はかなり増水することは間違いなかった。が、まさか二風谷ダム決壊のアナウンスを聞くとは思っても見なかった。
 高台の小学校に避難した後、カメラマン根性で、参加者たちとすぐに二風谷ダムへ向おうとした。が、国道237号線の新平取橋が通行止めにされていた。二風谷ダムまでの間が土砂崩れで国道の通行不能という理由だった。新平取橋は橋梁が高い橋だけれど、国道の街路灯に照らし出された沙流川の水位はこの時には橋桁まで近づいていた。
 午前3時過ぎには役場前に災害派遣隊と書かれた自衛隊の隊員輸送車のような車両2台が待機していた。災害の前に自衛隊が来ていることが奇妙だった。その後、姿を見ていない。
 私たちは暗がりの中でただ事の成り行きを見守るばかりだったが、夜が明け空が白けてきてから、沙流川を下流に移動し、途中の荷菜大橋に立ち寄った。
 雨が上がり、妙な静けさの中で沙流川は満杯の泥水をたたえ荷菜大橋の橋桁に迫る水位で流れていた。住宅の脇を流れる小川は堤を超えそうなほど水位が上がっており、沙流川の堤のそばで水が溢れ、住宅の基礎まで泥水が広がっていた。農家の牛舎はすでに冠水し、小川は道路をくぐるトンネル付近から濃い泥水が噴き出していた。住宅側の小川が逆流しているので、おかしいと思っていたら、沙流川の堤に設けられた逆流防止用の「ひ門(水門)」から沙流川本流の濃い泥水が噴水のように噴き上げて住宅側(堤内)の小川を逆流していたのだ。この「ひ門」から噴水のように噴き上げた濃い泥水は水田を埋めて広がり、堤内をどす黒い泥水で満たし、稲穂をヘドロ状の泥で埋めてしまった。(後日談だが、水が引いた後、水田に厚く堆積したヘドロ状の泥をブルドーザーなど重機を使用してかき出し、何台ものダンプで運び出していた)
 また、荷菜大橋の対岸のトマトのビニールハウスは河岸が崩壊して泥水に飲み込まれていた。荷菜大橋に集まった住民はなすすべもなく、ただただ見守っているだけだった。その静けさが異様に感じた。また、「ひ門」は壊れて閉じることもできないと聞いた。
 さらに沙流川を下流へ移動。途中、国道237号から沙流川の水面が見えるのが妙に印象に残った。水田は内水氾濫でところどころが冠水し、お寺が池の中に建っていた。
 沙流川下流、国道橋付近の門別町富川地区では「ひ門」から逆流した泥水が激しい勢いで住宅を水没させていた。「ひ門」の近く沙流川の堤には作業員2〜3名、ポンプ車2台が置かれ、消防ホースのような細いホースで住宅側の水(内水)を吸い出し、本流へと排水していた。が、「ひ門」から逆流している最中にポンプ車でいくら排水しても、排水した水が再び「ひ門」から住宅側に逆流している。これだけ科学技術が進歩した現代にあってこの程度の排水ポンプしか用意できないお粗末さを感じたが、もっとがく然としたのは「ひ門」を開いたまま排水していることだった。呆れるほかはない。

 少しでも早く二風谷ダムへ行こうと鵡川経由で向かったが、こちらも穂別で通行止め、二風谷ダムへの道はすべて閉ざされた。再度沙流川の富川へ戻った時には逆流はおさまり、入り込んでいた水が「ひ門」から沙流川本流へと流れはじめていた。しかし、住宅は泥水で冠水したままだった。
 再度向かった荷菜大橋では二風谷ダムから流れ出したおびただしい流木を目撃することになった。流木は長い帯になって次から次に押し寄せ、河畔林のヤナギをバキバキと音を立てて枝を払いながらなぎ倒し、一部は荷菜大橋の橋脚に折り重なってたまった。
 ドラム缶ほどもあるオレンジ色の浮き玉が時々流れてくる。これは二風谷ダム湖面に張られたワイヤーの浮き玉である。二風谷ダムに流れ込んだ大量の流木がワイヤーを切断し、二風谷ダムの放流口から大量に放出されたと見られる。だが、開発局は二風谷ダムが大量の流木を止めたとしている。実際は流木が二風谷ダムから大量に流れていたわけだ。そして、二風谷ダム下流の平取橋が今でも通行止めになっており、災害認定され移動調査が行われている。流木が大量に流れついたと見られる橋脚の1本が傾いでおり、路盤のつなぎ目が開いている。台風10号の大増水で基礎が洗掘を受けたとか、9月の地震による被害だとかとしているらしいが、この橋脚の建っている場所は土手側であり、洗掘を受けるような場所ではない。二風谷ダムから流れ出した流木は沙流川の全面に広がって流れていたわけではなく、細い帯となって流れていた痕跡が残されており、傾いだ橋脚に流木が集中して引っかかったと考えられる。公正な調査を実施して流木の影響を明らかにしてもらいたい。
 荷菜大橋では流木が流れてきているさなか、荷菜地区の住民が怒りをぶちまけていた。役場から二風谷ダムの放流情報をファックスで流すことになっていながら、届いたのは8月9日の午後2時過ぎのものだけ。放流量も少ない時間帯で、各自十分に注意するようにという情報を出しただけで、その後の重要な放流の情報は全く届いていないのだ。
 だが、二風谷ダム管理所は平取町役場に二風谷ダム放流情報のファックスを送っている。
 8月10日0時47分のファックスには「ただし書き操作」が付記され、「10日1時頃サーチャージ水位(洪水時満水位48m)を超えダムが危険な状態となる」とあり、さらに同1時50分のファックスでも「だだし書き操作」付きで、「現在の流入量は5,725m3/sで更に増加中で計画通りの操作では10日2時頃サーチャージ水位(洪水時満水位48m)を超えダムが危険な状態となるので、ダム放流量は3,300m3/sを超え更に増加し、6,000m3/sを超える恐れがあります。」とある。いずれのファックスにも「ただし書き操作とは、ダムの計画規模を超える洪水処理である。」と解説が添えられている。つまり、もうこれ以上二風谷ダムに水を貯水することができないので、流入した量をそのまま放流しますよという操作で、二風谷ダムの洪水調整機能はこの時点で失う。洪水時満水位を超えた場合に、二風谷ダムが決壊する恐れのある計画水位を超えないように放流量を増やしていく操作で、流入量と放流量が等しくなるまで行われ、二風谷ダムを決壊から守るための都合で行われる操作である。言い換えれば、二風谷ダムを守るために下流域でどんな水害が起きても知ったこっちゃないという放流方法が「ただし書き操作」なのである。だから、放流量が短時間にうなぎ登りに増える。このため、この操作の30分前に下流域の住民に避難勧告を出すのだそうだ。二風谷ダムの下流で家が水没しようが、人の命が失われようが「急激に水位が上がり続ける」これが二風谷ダムの恐ろしさと言えよう。実際、富川地区の水害に遭われた住民の話では「逆流水が勢いよく住宅側(堤内)に入り込んできて、積み上げていた土嚢が3,4mも吹き飛ばされた。」と言う。そして、「二風谷ダムができる前の増水はゆっくりと増えたから逃げる余裕があった。しかし、ダムができてからいきなり増水するようになったから、逃げる余裕は無くなった。」と指摘する。さらに、「二風谷ダムができてから毎年のように水害が起きるようになった。」と付け加えている。ダムがある場合とダムが無い場合とで危険度が全く異なったのだ。
 8月10日の未明、二風谷ダム周辺に投宿していた北海道自然保護協会の勉強会の参加者からの携帯電話連絡では、午前2時ごろの二風谷ダムは、「洪水時満水位の48mに対して水位がすでに49mを超えて50mに近づいており、押し寄せた流木が折り重なり堤体の手すりの下部に届くまでに盛り上がっていた。」と言う。まさに二風谷ダム決壊の危険な状態にあったことには間違いない。
 ところが、北海道新聞8月17日の読者の欄に水害現場にいた市川利美さんが「二風谷ダムは洪水調節を第一目的に造られたはず。それが役に立たなかったどころか、かえって、決壊や放水による大洪水がより大きな驚異だったことが明らかになった…」と事実報告をしていた。しかし、北海道開発局河川計画課長名で「二風谷ダムは洪水がダムを超えて流れても安全な構造であり、決壊の恐れはありません。流入量の一割以上の毎秒900立方メートルをダムにためて下流の水位を下げ、重大な災害を回避できました…」と実に素早い反論記事が載った。あまりの素早い反応に、この方は水害現場を知らないのではと感じてしまった。
「…洪水がダムを超えて流れても安全な構造であり、決壊の恐れはありません。」と言い切っているので、いくつかの疑問点を述べよう。
 今回の場合、想定を遙かに超えた流木量があった。流木量は当初45年分としていたが、後に67年分の6万7千立方メートル(9月6日道新)に訂正するなど、災害の実態把握すらままならぬ状態だ。また、大量の土砂が流れ込んだのも事実であり、台風10号以前から、想定を超えた土砂の流入があることを認めている。この二つの点は注目に値する。流入量は大量の土砂や大量の流木があっても、流入量として一括計上される。従って、次のように表せる。
 流入量=降雨による実流入水量+流木量+土砂量+二風谷ダムからの放流量(オリフィスゲート)
 このように表現できる。すると「流木量+土砂量」は上流の状況で多くなったり、少なくなったりする量であることがわかる。だから、実際の降雨による実流入水量は少なかった可能性もある。また、流木・土砂がもっと多ければもっと流入量が増えたとも言える。流入量の予測そのものの根拠が曖昧なのではないかと疑えてくる。実態把握のための検証がどれだけ行われたのかどうかもわからない状況下で、このような早急な反論と安全宣言を言い切れるものなのだろうか。開発局の今後の動向は要注目すべきである。
 一方、二風谷ダムから洪水調節の放流のまっさなか、下流住民がファックス情報を受け取るということは住宅に在宅しているわけだ。ならば、避難態勢を整えるためにも現在の危険度の情報通知は不可欠だ。二風谷ダム管理所から送られた放流情報を平取町はファックス情報で送っていなかったことが判明した。
 また、二風谷ダム管理所から平取町役場へ送られたファックス情報は8月9日21時34分から放流量が増加し続けているにもかかわらず8月10日0時47分までファックス情報は送信されていない。その後も放流量が増加し続けているが、ファックス情報は1時間後の同日1時50分、そして、放流量が最大流量となる同日4時30分までの約3時間についても通知が無い。
 この間のいきさつは流域住民の声を聞けば明かである。「…十分注意せいっていうか十分注意して河原から小屋に入れたんだ。その後、なんも来ないから、のんきにしていたっしょ。そうしたら今度、ダムが壊れるとか破堤するからとか…」。ファックス情報も入らないのに、いきなり水位が上がり、農機具も撤収できぬままに流され、牛も救出できず苫小牧沖まで流されてしまったという。この空白の時間が人命財産に関わる、どれほど恐ろしい告知漏れであるのか、治水担当者は全く気が付いていない。
 これについて二風谷ダム管理所ではホームページで刻一刻と流入量や放流量などの変動情報を提供しているから、連絡が途切れた間、住民への通知は平取町役場がやるべきことだと説明している。
 一方の平取町役場は、ダム管理所から連絡がなかったから住民にファックス情報を提供しなかったと釈明する。とんでもない無責任な姿勢と責任のなすり合いで、下流住民は生命財産を失う危機にさらされていたことになる。二風谷ダム管理のあり方の不備が露呈し、人命財産を守る根本的な理念の欠如があり、二風谷ダム管理の危うさはここに見え隠れする。
 自然保護団体と河川管理者が話合いを持つとき必ず言われるのが、「自然が大事か、人命財産が大事か」である。この言葉を最後にごり押しで押し切り工事を実施してきた。今回の台風10号が「流域の人命財産なんか知ったこっちゃない、大事なのは我々河川管理者の管理・運営の職務を遂行し、立場を守ることだ」と河川管理者の本音を聞かせてくれたような気がする。
 荷菜大橋左岸の1軒の住宅ではファックス情報も入らず、広報も伝わらず、唯一の情報源のNHKラジオ放送は途中から情報が流れなくなり、沙流川の状況が全く解らないまま暗やみに取り残されていた。幸い9日の23時30分頃に友人が車で迎えに来てくれたから避難できたものの、床上浸水となった住宅で、洪水の真っ直中に一人置き去りにされ、命を失いかねない危機にあったのだ。
 台風が去り一夜が明けた翌11日、平取町役場では「…二風谷ダム決壊のおそれがでてきました…」と言うようなことは広報していないと説明。ビデオカメラに広報内容が記録されていると説明したら「若い者が言い間違えたのではないか。」と前言を訂正した。だが、流域住民は二風谷ダムの放流の理由が「国土交通省から、ようするにダムが壊れる恐れがあるからどうのこうのって、それが第一の理由のように言うからよ…。」と指摘する。平取町役場は「二風谷ダム決壊の恐れ」が国土交通省から通知されたことを隠蔽しようとしているのだろうか。
 このような不信感を招いて沙流川の治水対策が機能するのだろうか。
 沙流川門別町富川地区の住宅がかん水した水害は開いたままにされた3つの「ひ門」から沙流川の濃い泥水が逆流したために発生した水害でもある。
 8月10日の午前1時20分頃、開発局から依託された「ひ門」管理者が「ひ門」を閉める時間がありながら、そばにいた開発局職員から「ひ門」を閉めずに「逃げろ」と指示を受け、「ひ門」は開けたままにされたのだ。1月8日にテレビ放送された「ニュースステーション(テレビ朝日:HTB)」では住民が録音したテープに「沙流川の水量が1,900トンになったらひ門から逆流するのでひ門は閉める。」と開発側が説明したことが残されていた。
 1時50分の二風谷ダム管理所からのファックス情報では「…計画通りの操作では10日2時頃サーチャージ水位(洪水時満水位48m)を超えダムが危険な状態となるので、ダム放流量は3,300m3/sを超え更に増加し、6,000m3/sを超える恐れがあります。」とある。1,900m3/sを遙かに超える流量をすでに想定していながら「ひ門」を開けていたら、逆流することは明白ではないか。これが当たり前の判断と言えよう。
 ところが、地元水害被害住民との話合いの中で、当初、開発局は1時20分頃には現地に「職員は行っていない。」としていた。住民が開発局に、「現場に職員が誰もいなかった。」ことを何度も念を押して確認した上で、「開発の車両で乗り付けた3名はいったい誰なのだ。」と事実を突きつけたところ、開発局側は職員間でヒソヒソ話をしてから、「実は、行ってました。」と認めたという。国がウソをついたのだ。なぜウソをついたのだろうか、ウソをついて何を守ろうとしたのだろうか。
 当初は、現実に逆流しているのにも関わらず、住民の指摘も無視して、「ひ門からの逆流は確認していない。」と、逆流の事実すら認めていなかった。これが国の姿なのだったらあまりにも悲しいではないか。
 増水した沙流川は河川管理のあり方に多くの疑問を示唆してくれた。
 さて、災害が発生する前から二風谷ダム上流の本支流の各所を撮影してきたが、この川は治山ダム・谷止工・砂防ダム・落差工などダムが多く、被災前の川はどの川も共通してそれぞれのダム下流側全域で河床低下と河岸が切り立った崖になっており、今思えば増水すれば簡単に崩壊する極限状態に達していた。被災後、予測通り各所で河岸崩壊が見られ、川幅が2倍にも3倍にも広がって、大量の土砂と立ち木が流木となって流出したことを物語っていた。
 一方、二風谷ダム上流の沙流川支流ポロケシナイ川で見た山崩れ箇所は、ずり落ちた土砂が落ちたところで比較的安定した盛土となり立木が折り重なり、大量の土砂・立ち木が川に流れ込むまでには至っていなかった。開発局は山崩れで大量の土砂と流木がダムに流れ込んだとしているようだが、現場を見る限り、山崩れによる土砂や立ち木は途中で止まっている。
 12月11日にはヘリコプターで沙流川支流額平川をさかのぼり、流域を上空から観察する機会を得た。確かに山の所々に崩壊地が見られ、林道の崩壊が特に大規模だった。しかし、流木が川まで大量に流れ込むような状況ではなかった。これらのことから、むしろ二風谷ダムに流れ込んだ予測を超えた流木は川岸、すなわち、河岸崩壊や山脚崩壊で発生した川岸の立木にほぼ間違いないであろう。
 ならば、大量の流木を捉えたとする二風谷ダムそのものが災害の前から下流域一帯で河床低下と河岸の崖化を促していたので、このたびの増水で各所で河岸崩壊が見られ、河岸が大きく後退し、川幅が広がっていることから、河岸崩壊で新たな大量の流木を発生させたと言える。
 これらのことを検討すれば、治山ダム・谷止工・砂防ダムと同様に二風谷ダムそのものもまた、河岸崩壊で大量の土砂と大量の流木を発生させた原因者だったことが浮き彫りにされるだろう。
 さらに、興味深いことを発見した。それは二風谷ダムはダム湖の流入部で粒径の大き
な砂礫を沈殿させ、放流口のあるダム堤体付近に粒径のきわめて小さく微細な砂礫を集める「土砂のふるい」の働きをすることだ。つまり、二風谷ダムはダム堤体付近で粒径の小さく微細な砂礫、つまり、「ヘドロのような泥」が大量に堆積するようになっているのだ。1996年の二風谷ダム完成後、4ヶ月にしてヘドロが溜ったと報道された理由が納得できるし、このたびの台風ではおそらく膨大な量の泥を集めたと想像される。そして、二風谷ダムの下層部(オリフィスゲート)から主たる放流をしていたことから、二風谷ダムは流れ込んだ大量の土砂から「ヘドロのような泥」だけを選り分けて大量に下流に放流する「ふるい」の役割をしていたことが明白になった。その証拠が下流一帯に堆積したネトネトした「泥」であり、沿岸に流れ出して、タコ壺を埋めたり、ホタテや昆布に影響を与えた「泥」である。二風谷ダムが土砂から泥だけを選り分けて下流に流す「ふるい」の役割を果たしていたことは紛れもない事実なのだ。絶滅したのではないかと思われるサクラマスなどの水産資源枯渇の原因をかいま見た思いがする。
 また、沙流川上流日高町の岡春部川では上流の岡春部砂防ダムの影響で河床低下が進行していたが、このたびの増水で道路擁護壁が倒壊し、舗装道路が大規模に崩壊した。砂防ダムによる河床低下が引き起こした道路崩壊の疑いがきわめて濃厚だ。これは道南上磯町の戸切地川、八雲町の遊楽部川支流砂蘭部川の道路崩壊ときわめて酷似しているからだ。仮に道路崩壊が砂防ダムに起因することが判明すれば人災となり、人命に関われば重大な刑事事件に発展するだろう。

 厚岸町を流れる別寒辺牛川の上流に自衛隊の矢臼別演習場がある。この敷地を流れる別寒辺牛川の支流に4つの砂防ダム建設計画が2002年11月に伝わってきた。すでにその内の1つが完成し、2基目の工事に着手していた。イトウが生息する湿原の川の砂防ダム建設はあまり聞いたこともなく、湿原特有の生態系に重大な影響が考えられることから北海道自然保護協会では札幌防衛施設局から資料の取り寄せ、砂防ダム建設の見直しを求めて動いた。だが、札幌防衛施設局は情報の提供を出し渋るように、情報開示請求書に記載の字句の補足や訂正を繰り返し求めることで引き延ばし、資料が手に入るまでに1月半もかかった。
 さて、湿原の特性を考えれば、湿原全体が川である。しかもわき水が湿潤する複雑な水の流れがある。そこを流れているのが別寒辺牛川である。この川はイトウやシベリアヤツメなどの貴重な資源が残された川であるばかりでなく、川が注ぐ厚岸湾はカキやアサリの産地としても知られる重要な漁業資源がある。重要な水産資源も貴重な生物資源も別寒辺牛川の仕組みが支える資源なのである。この別寒辺牛川の仕組みを根底から変えるのが砂防ダムであれば、影響はきわめて深刻であるはずだ。
 現地調査の結果、別寒辺牛川支流の1mあまりの川幅の川になんと堤長218mもある巨大砂防ダムが建設されていたのだ。この砂防ダムの上流は川幅が1mあまりで、水はわき水のように冷たく水が澄み、緑のバイカモが生えていた。川底の石はこぶし大の石が見られ、砂が少なく、川の中に入れば、川底は柔らかく石がぐずぐずと崩れる。わき水あるいは伏流水が川底から石を押し上げ「浮き石」状態になっていると思われた。つまり、川底の石の間を流れる水(透水性)が豊富なのである。多くの魚たちはこうした川底の透水性のある場所を繁殖に利用しているのだ。つまり、透水性は川底を水が流れる仕組みなのである。
 こうした視点から、建設された巨大砂防ダムを考えてみると、湿原だから、土壌がぬかるために柔らかいから基礎を深くする。そして、川と川岸を含めて全体が平らだから堤長を長くせざるを得ない。つまり、湿原の川は川水だけが流れているのではなく、川岸の土壌中、地下も含めて地下水・伏流水が複雑に存在し流れているわけだから、砂防ダムはそれらの水を遮断することになる。わずか1m程の川幅を砂防ダムの上下流で100m以上にも川幅を拡張し、水を貯めている。たまった水にはすでに泥がたまりはじめておりヘドロ状の底質になっていた。ダム下流側ではすでに川底の小石は少なく、ほとんどが砂で埋まったような川底になっていた。こぶし大の石で覆われた川底とは全く異なっていた。このまま放置すれば、砂防ダムには泥がたまり続け、増水があれば、湿原全体の水を砂防ダム放流口から吐き出すために、流速が高まり、しかも、流れ込んだ土砂から泥だけを選り分けて下流に流す「ふるい」の役割をすることになる。砂防ダムに貯留する落葉などがこれまでとは異なる分解の仕組みに変わることから、水質への影響がどのようにでてくるかは未知数となる。
 こうした視点から影響を想定すると、砂防ダムから下流ではイトウやシベリアヤツメの繁殖が困難となり資源が枯渇する可能性がある。また、砂防ダムが流れ込んだ土砂から泥だけを選り分けて下流一帯に泥ばかりが流れるようになれば下流域から厚岸湾に至沿岸まで影響が広がり、カキ・アサリ漁業資源への影響も懸念されるだろう。そして、砂防ダム底質に含まれる有機物の分解過程で水質の劣化が予測される。従って、これ以上の砂防ダムの建設を撤回し、すでに完成した砂防ダムの撤去をすべきだ。
 現在、イトウの研究者を含めて環境影響調査が行われており、工事が凍結されている。解凍されることがないように注目したい。