蒲原沢土石流事故はオリンピックがらみの「人災」だった

内山卓郎

 1996(平成8)年12月6日、蒲原沢の土石流災害が発生し、現場労働者14人の死亡事故となった直後、当時の吉村長野県知事はいくつかの注目すべき発言をしています。
 その代表ともいえるものは、かの有名な「天災発言」です。災害関連緊急工事の現場で多数の死亡者発生の連絡を受けた直後、亀井静香建設大臣、入澤肇林野長長官、吉村午良長野県知事(いずれも当時)の「行政の長3人」は、その日のうちに姫川と蒲原沢の合流点、死亡事故発生現場へかけつけました。
                         l
 そして、3人はあたかも事前に打ち合せずみであったかのように、「土石流の発生を予知予測することはできなかった。さけることのできない自然災害であり、天災である」と口を揃えたのです;国会の災害特別委員会でも、亀井大臣と吉村知事ま同じ趣旨の答弁をしました吉村知事の発音を具体的に拾いだしてみますと、「今回の災害は残念ながら予見できないものであった。災害を未然に防ぐには困難性をともなっていた。予見できたな工事は中止したでしょう。まさに天災だ「(土石流を検知する)センサーがあっても逃げきれない。予見困難な災害だった。人災というわけにはいかない」など。
 行政の長である3人が「天災だ」と言い、結論を断定してしまったのは、土石流が発生したそこの日のことでした。彼らの発言はなにひとつ根拠らしきものをもっていません。土石流発生の原因調査も機構解析調査もまだはじまっていなかったのです。科学的根拠となる判断材料が皆無の段階で、土石流の惨状を眼の当りにしながら行政の長3人は<行政の過失責任こからむ事故であって欲しくない>という<本音喝望>をつい口走ってしまったものといえるでしょう。
 土石流が発生した96年12月当時、姫川の合流点から約2km以内の区間では5箇所で災害関連緊急工事がおこなわれていました。
 合流点から沢の上流へ向けて、建設省の床固め工事(死者3人)、長野県の新国界橋復旧工事(1)、建設省の流路工事(0)、砂防ダム工事(7)、林野庁の谷止め工事(3)。いずれも前年7月の梅雨前線豪雨の土砂災害の傷跡を惨復する建設工事であり、公共事業でした。96年2月から「約1カ年の建設工期」に縛られている突貫工事でした。
 死者14人・重軽傷者9人の被害は.すべて5カ所の建設工事現場で発生しています。地元小谷村の住人は1人も被災していません,しかも、建設工事の発注者である役所と、元請けの建設会社では1人の死亡者もだしていません。14人の死亡した方は全員、下請け・孫請け会社ではたらく現場労働者でした。
 土砂災害と関連する災害関連工和もかならず二次災害、三次災害を発生させる危険をともないます;通常め道路・橋・ダムなどの建設工事と比較して、質的にちがうのです。

蒲原沢土石流災害の特色

蒲原沢土石流は、きわめてめずらしい、特性をもつ災害です。<災害>というよりも、<事故、事件>というほうが適切かもしれません,部分的に重複するかもしれませんが、整理してみましょう。

(1)14人の死者が災害関連の公共事業痩設工事現場で発生したこと。
(2)二次土石流発生の危険性をもつ災害関連工事現場の死亡事故であったこと
(3)にもかかわらず、建設工事発注者の役所は、95年7月の土石流の発生原因や機構解析等の調査を欠落させ、
  工期約1年で5ヶ所の災害関連事業を同時集中で実施してしまったこと。
(4)建設工事の安全対策については、土石流探撫知センサーを1基も設置せず、非常用サイレン等の警報システムも
  欠落させ、明らかに注意義務を欠いていたと思われること。
(5)事故発生直後、3行政の長はそれぞれ「天災発言」をくりかえしたこと。
(6)建設省、林野庁、長野県の3行政は、合同調査団を組織し、財団法人砂防学会に訴査を委託し、
  約半年後の97年7月、学者・専門家の権威を利用して「天災発言」を裏付けるインチキ報告書を作成してもらい、
  14人死亡事故の幕引きを図ったこと。
(7)長野・新潟の両県警は合同捜査本部を設置し、業務上過失責任の有無を調べたが、
  結局は尻すぼみの捜査に終わってしまったこと。

長野冬季正輪との関連

 95年7月11〜12日の梅雨前線豪雨は、長野・新潟・富山の県境部を中心としてものすごい集
中豪雨となり、数多くの災害被害をもたらしました。県境部こ位置する小谷村は、洪水、土石流、
地すべりによって、惨状としか表現のしようがないほど、村全域こわたりズタズタの痛手をうけ
ました
 国道148号をはじめ、道路という道路は寸断されで村内の交通はマヒ。JR大糸線も不通、孤立する集落が続出しました。このとき、蒲原沢では土砂量11万立方メートルを越える大土石流が発生し、わずか8ケ月前に建設省の手によって完成したばかりの、国道新小谷道路ル−トの「新国界橋」は押し流されてしまったのです。目撃者もなく、破壊、流失した時刻も不明という出来事でした。
 国道148号は、糸魚川市と小谷村・白馬村・大町市を繋ぐ唯一の幹線道路です。
 折りから1998年2月予定で長野冬季オリンピックの開催が決定していました。ところが、国道とはいうものの、148号は楠葉峠などの難所を抱え、狭い洞門(スノーシェッド)とトンネル続き。乗用車のすれちがいもむずかしいような道でした。
 新国界稀をふくむ新小林過晩小一卜計画私ジャンプ、アルレベン滑降などのオリンピック人気競技の金券となる白馬村と日本海方面を結ぶ「五輪道路」として建設を急いでいたのです。95年7月の土砂災害ほ蒲藤沢をまたぐ新国界橋を破壊流失させてしまいましたから、新小谷道路は完全なフンづまり状態と成り果てました。
 泡を食ったのは、五輪開催の条件整備を絶対の優先課題としていた長野県と、冬季五輪関係者です。こうして、新国界橋の復旧建設工事を柱として、「3行政5カ所の蒲原沢災害関連工事が96年2月から約1年の工期で同時集中で開始されました。まさに、オリンピックがらみの突貫工事でした。
 田中忠義さん、中田鉄治さん、藤谷十彦さんをふくむ14人の労動者死亡事故となった直後、長野県の吉村知事(当時)は、新聞記者の質問にこたえて「オリンピックがらみで建設工事を急がせていたということはない」と語りました。
 この発音ほ真っ赤なウソです。前述した「天災発言」とかさね合わせると、吉村前知事は2〜3枚の舌をもつ人物だといえるでしょう。

 蒲原沢土石流による災害死亡事故は、まぎれもなく、長野冬季オリンピックと関連をもっています。オリンピック道路の建設を急ぐあまりに引き起こされた「人災」だったのです。

(長野市・内山卓郎記)


※本資料は、第3回渓流保護シンポジウムの資料集をOCRソフト(読んde!!ココ)で認識したものです。
  認識の誤りによる誤字等があるかも知れませんのでご了承ください。  (渓流保護ネットワーク 吉沢)