1989年、建設省河川局は施策の柱のひとつに、『河川生態系に配慮する工法を取り入れる』ことを明確にし、地方建設局、直轄工事事務所、都道府県土木部に通知した。それまでの30余年の間、推進・展開していた、
@安全が第1で、他のすべてに優先する
A『技術基準(案)』に基づく全国一律の事業・工法
を転換する施策の表明であった。
その後10年余、砂防事業においては、その工法のひとつとして、”スリット型砂防ダム”が選択され、各地で築設されてきているが、その土砂貯留・流送機能や”生態系への作用(影響)”に係わる知見は、『技術基準(案)』のレベルには集約・認識・総合化されていないのが実情であろう。〔本年度の砂防学会における”スリット型砂防ダム”に関する発表題目が20余ある〕
視点を変えれば、”実証実験”の真っ只中にあると考えることができる。
1984年9月、長野県西部地震時に発現した”御岳崩れ”3600万m3余の崩落土砂およびその流下過程で周辺の斜面・台地から削剥した約500万m3の流動土砂は、王滝川および伝上川の狭窄部の上流部に停止・堆積した。その詳細は『資料1』に示し、ここでは重複をさける。
水系に沿った狭窄地形は、視点を変えれば”砂防ダムのスリット”であり、現象の規模(流出洪水・土砂量)に対応した貯留・調節機能が発揮されることを実証した最適例であったと考えている。〔機会があるごとに意見表明してきた〕
すわなち、現象の規模が想定・推定できれば、狭窄地形の付加(強化)もしくは人工的な狭窄部の築設によって、流動する土砂の貯留・調節の計画立案が可能であることを示唆していると考えている。〔これを実証するデータを蓄積することが不可避〕
天竜川上流域の支川の実体を『資料3』で示した。おそらく、”大型水抜口”の機能を実態データによって検討・評価した、ただ一つの論考であろう。
与田切川・七久保ダムの大型水抜口は1973年以来、貯留容量を保持・維持している事実が”下流の安全”の第1項目として高く評価されるべきであった。しかし、土砂が溜まっていないことに不安を強くした『飯島町』の強い要請によって、水抜口を閉塞させる工事が実施された。その一年後には”砂”を主とする粒径の小さい土砂〔洪水流に伴って流下し易い〕でダムは満砂状態になった。
『飯島町』で”長期的安全”より”近視眼的安全”が選択されたことはたいへん残念なことである。また、稀少な”実証実験フィールド”が無くなったことは、国民の共有財産を失ったことにも相当することになろう。
〔5月8日、4カ国渓流土砂動態検討会シンポジウム参加者を案内して、(片桐)松川、与田切川ほかを現地踏査した。松川第2ダムでは大型水抜きの機能改修工事が施行されていた、’堆積空間’が復元されているのを確認した。今後、”実証実験フィールド”として活用することができることに謝意を表する。〕
土石流のような集合流動状態の土砂が停止・堆積すると、再移動には大きなエネルギー・外力を必要とする。”砂”成分が主体の場合以外は中小洪水では再移動が困難である。また、”粘土”成分が多かったり、流木、枝杖の混入なども、”居つく”堆積土砂に抗力を付与している。
スリット部分の堆積土砂が容易に再移動するならば、一定期間の時間経過によって河川生物群の遡上通路の回復が可能になるが、実態はきわめて困難である。オープンもしくはスリットに期待する機能を発揮させるには、大型重機を運行した土砂礫の排除・再移動などの管理的施行が不可欠であろう。
スリットの設計基準は模型実験の結果から、周辺渓床の最大礫径の1.5〜2倍が選択されているようであるが、これは今後の実態調査によって改定を要すると考える。関係機関と連携した共同調査・研究が前提となる。
資料1
資料2