- 高森町大島川の場合 -
「大島川上流へ砂防ダムを建設」と高森町の広報です。”地域戦略プラン”(小渕内閣による公共事業の推進策)で浮上した計画高30メートルです。
飯田建設事務所管理計画課に聞くと「前々から高森町より“水確保にダムを”の要望があり、地域の願いに応えたい」。
大島川は急流河川です。天竜川の中支流ですが,記録に残る土砂災害は大支流を上回っています。既存堰堤は数年で満杯。大ダムでは効果は薄く,心配もある。水の確保はダムでなくても可能。
調査期間の今,大ダムの損得を検討し,発想の転換も視野に入れ,大島川の実態に適した治水利水対策を検討すべきです。
写真1 昭和36年6月,大島川の天竜川合流部周辺の
土砂災害,吉田川原・天竜社市田工場(現在は
厚生連下伊那病院)・飯田線市田駅の北側が
砂で埋まってしまった。 (中日新聞社提供)
(1)大島川は土石流多発型の急流河川です。上流の 河床勾配は1/9〜1/4へと増大します。急流河川である天竜川の勾配は1/170です(図2)。
(2)上流部は不動滝断層群に制約された直線谷です。源流には前高森山一野底川断層,山麓には空所断層,湯ケ洞断層,牛牧神社断層があります。
(3)流域の地質は風化に脆い新期花崗岩です。断層による破砕化を随所で受けています。
(4)堰堤は数年で満砂し,空容量はゼロです。昨年は土砂・流木がダム抽部を乗り越えています
(写真2)。
(5)大島川の実態から,上流部の大ダムは疑問です。
(6)林道を迂回させるために新たな負荷が増す。
(7)上流部には縦侵食防止対策を。斜面には治山対策が大切です。
(8)砂防対策には山麓部に遊砂地を検討してほしい。
(9)大島川は流域一体の総合治水が必要です。
写真2 土砂流木が平成6年の堰堤の袖部まで
乗り越えている(二の沢)
高森町市田地区は大島川による土石流扇状地に村里があります。大島川の末端の“出砂原”は,ズバリ土石流による地名です(図1)。
出砂原は大正12年に市田駅ができてからの駅前集落です。以前は巨石が累積したアカマツ原野でした。153号繰出砂原交差点周辺は“大石”と呼び,石屋さんたちの石切場でした。
出砂原扇状地は縄文末から現在まで繰り返した土石流が,半島状に天竜川へ突き出ています。先端に明神橋ができ,豊丘村方面との交通の要所になって商店街ができました。
−(図A 大島川の全景 図B 大島川付近の主要活断層 図C 大島川による土石流扇状地の形成過程 参照)−
写真3(左)・4(右)三六災害の写真(左)と24年後の写真(右) とを比べてみる。
現在はさらに人口集中している。もし,三六災 害がおこったとすると,高森町吉田
川原地区においては,約200世 帯が被害を受けると想定される。三六災害当時
とくらべ,153号線 が通ったりして,この地区への人口集中がいちじるしいため。
三六災害(1961年)のとき出砂原から吉田地区が氾濫しました。天竜社(現在の厚生連下伊那病院)は土砂に埋まりました。吉田の153号線商店街から吉田団地まで氾濫しました。国道や団地は災害後の開発です。前は水田地帯でした。
三六災害の時,大島川の川沿いは自然に帰りました。竹村医院は破壊されました。その後,川の直線化と三面コンクリート護岸となり,住宅密集地に変貌しました。今は,氾濫域に約200所帯あります。ここは土石流危険区域です。でも規制処置はされていません。住民は災害の事実すら知らないかも。
”ひつじ満水”と呼ばれる大災害です。山吹藩史料によると,不動滝上の鍵懸付近で発生した土石流が満水の天竜川をせき止めました。泥の海は4km上流の竜口まで達したそうです。支流の大島川が本流の濁流をせき止めたできごとです。
最近,天竜川の河床低下で堤防下の補強工事がされました。見ると,天竜の河床礫は厚さ1〜2mで,その下は大島川の花崗岩礫です。対岸の豊丘村側も広く花崗岩礫が出てきました。
ひつじ満水で流れ出た大きな石や記念碑が市田駅周辺に残っています。“夜泣き地蔵”や三界万霊塔・六地蔵です。
★湯ヶ洞断層−山麓線にある断層。上段道に並行しています。
★牛牧神社断層一牛牧上段をつくる断層。牛牧神社から天白をとおり瑠璃寺へつながります。
★堂所断層一堂所を通り“盗人道”と呼ばれた断層。断層破砕帯の幅が広く,破砕帯を侵食する谷が吉田山と牛牧山の裾を横切る断層鞍部が連続します。堂所断層から山麓断層までの間は基盤風化が強く,年中行事のように斜面崩壊があります。
★不動滝断層群【堂所断層より上流は不動滝断層群に制約される直線状の急流河川です。右岸からの支流は小滝沢やこの沢に断層支配による滝があります。代表が千水沢に懸かる不動滝です。本流の谷横断面は右岸側が急傾斜となる非対称の斜面形をしています(写5)。
★前高森山一野底川断層一前高森山の裏側を通過して野底川となり,風越山の裏まで抜ける長大な右横ずれ断層です。この影響で前高森山の周辺には沢山の崩壊地があります。ひつじ満水の土石流を発生させた鍵掛があります。
流域全体が市田花崗岩です。花崗岩は風化と侵食に弱い岩石の代表です。中でも市田花崗岩は若いため風化侵食されやすい岩石です。
不動滝の岩盤は堅い部分です。全体が堅いのでなく,破砕作用を受けている部分は弱い。不動滝では滝直下の岩盤に断層面があり,この破砕帯は急斜面を斜めに走っていて絶えず崩れています。最近,山腹工事がされています。(写真5)
写真5 大島川上流の不動滝 滝下左側基部に断層があって,左上斜面へ
伸びている。断層による破砕部は落石防止壁などのエ事がされている。
急流河川の大島川,断層支配の地形地質,脆弱な基盤岩類,繰り返してきた土石流など,治水対策のむずかしい河川です。こうした川は大型ダムで解決するわけではありません。ダムの効果は一時しのぎ対策です。数十年先まで見て,大島川に適した対策をすべきです。災害を将来へ先送りする時代は過ぎたと思います。
すべての川は蛇行して流れます。人工で直線化しても,蛇行しようとする川本来の流れは止められません。
川は蛇行して瀬と渕をっくります。川の上流部では瀬が滝になります。急勾配の谷はど滝と渕との距離が短くなり,滝の落差が大きくなります。
図3 急流河川上流部の蛇行(模式図) 写6 大島川本流,小滝沢付近の蛇行
大島川上流は滝と淵とが連続しています(写6)。土石流が蛇行した谷を下るとき,固い岩盤に衝突し,跳ね返って対岸の岩盤に衝突しながら下ります。流れそのものが土石流のエネルギーに歯止めをかけます。蛇行効果といいましょうか。証拠に,土石流が衝突する岩盤は堅く,絶えずぶっつかることで岩盤がえぐられて,渓流ノッチ(図4)をっくります。こうした川自身による自縛効果を再発見すべきです。
人は澄んだ流れの川を見ています。洪水は特別と見ています。この河川観は根本的に間違っています。洪水は自然の営みです。地球循環そのものです。川本来の姿です。このとき川は正体を見せます。洪水時における侵食と土砂移動から川の姿を知り,災害からの回避対策の出発点にすべきです。洪水を押さえ込めば別の災害に形を変えます。山は隆起しています。気象気候変化が加わります。これらが川の姿を変えていきます。
写真7 堰堤で上昇した河床により,新しい横侵食(側方 写真8 昭和39年にできた不動滝下堰堤,堰堤の
侵食)が活発になり,流木や土砂を流し込んでいる。 天端上まで巨礫が満杯した成熟ダム
ダムは川本来の形を変えます。まず土砂がたまり,河床が上がります。大ダムも数年で満砂しています。その後の土石流は満砂したダムの緩い河床に達して,流速が落ち,石だけ残して砂が流れ去ります。こうしたダムを成熟ダムと呼びます(図5・写8)。大島川の堰堤はすべて成熟しています。成熟ダムに再び土石流が流れ下ると溜まっていた石を巻き込んで土石流が肥大化します。ダムに溜まっていた石は土石流予備軍になってしまいます。こうした実態を直視しなければなりません。事実,三六災害のときには渓床土砂が全部流されました。後には樋のようにつるつるの岩盤が露出しました。
土石流は100mを十秒台で走るといわれています。土石流が高速化しないためには川の直線化は避けるべきです。しかし,ダムでせき止めれば否応なく直線化します。ダムは高速土石流の発射台になります。あたかもスキーのジャンプ台を提供したような結果です。
ダムで河床が嵩上げされると,土砂生産量が増大します。川床は平坦になり新しい蛇行をっくります。新たな攻撃斜面に横侵食が復活します。河床が上がったため風化している斜面は侵食に弱く,そこには樹木があり,土壌や崖錐性の砂礫も堆積しています。たちまち新しい斜面崩壊を生み出してしまいます(図6・写7・写9)。
写真9 大島川では堰堤(ダム)が満杯になるのは
予想以上に早い(二の沢の例)
ダムの高さは滝と渕をいくつ埋めてしまうかで決めるべきです。高くすればするはど河床を変えてしまい,土砂生産が増加します。だから発想を変え,縦侵食をやわらげる対策を採るべきです。土石流・土砂対策のためなら,スリットダムや片翼ダム,勾配の強い場所では土石流を衝突させるための人工岩盤かセルダムでよいでしょう(図7)。
ダムだけで土石流・土砂災害防止は片手落ちです。山麓に出た場所で河床勾配が緩くなり,そこに土砂・岩石が溜まります。こうした場所に土石流を誘導する分流堰を設け,土砂を溜めてしまう遊砂地をっくるべきです。遊砂地は川の本流方向に設け,常時の川は斜交する向きにとります。遊砂地の出口には水が抜けるスクリーンダム(図7)をつくります。
これと似た治水施設が,中国長江の四大支流で成都市へ流れる眠江にあります。二千二百年も前に造られた施設が,今日も働いているのは,眠江の流れを制御していないという原則があるからでしょう。都江堰の考え方は急峻な山地から盆地部に入る場所に構築された治水施設です。わたしは1984年に訪問して深く感動しました。(図9)
人と水・人と川とは切り離せません。水や川を土木技術で制御できると信じていませんか。
大島川は土木(ハード)と災害回避ネットワークづくり(ソフト)の両面からおし進めたい。災害の予測と回避対応を柱とする軽減対策,災害に強い地域づくり,災害に備えた組織づくりです。
『災害は忘れた頃やってくる』寺田寅彦
『災害は進化する』中谷宇吉郎
災害の進化とは−たとえば大ダムができたから安心と思いこむはど恐いことばありません。人知を越えた新しい災害が起きる心配だってあります。鹿児島県川内市針原川の災害はその一例です。
ダムは2〜3年ででき,数年で埋まります。数十年とは使えません。ある専門家がいいました。ダムに溜まった土砂の値段はダム建設費より高額になると。既存のダムを空にした方が安いと。つくるだけ造って,将来のことは次世代に先送りするという発想は無責任ではないでしょうか。
ダムは何年くらいで満杯になるか。排砂すれば年間いくらかかるなど,利害損得を住民に開示して検討すべきです。大きなダムを造れば安全という神話を一人歩きさせてはなりません。
大島川の問題は将来まで営々と続く課題です。現在の投資が将来に生きてくる投資でなければ危機管理とはいえません。
大島川は無人の上流部と人口集中した下流部とがセットです。上流の侵食作用と下流の堆積作用は自然の摂理です。これに対立する技術で川を押えつければ別の形で災害が発生します。
氾濫域に人が住む以上,何らかの災害が発生します。災害が何も起きないようにと行政側に要求するだけでは住民エゴになりかねません。
治山対策で侵食域での急速な土砂流出はある程度やわらげることができます。崩壊しやすい場所もある程度予測できます。下流では土砂の氾濫域を危険域として線引きができます。この問題を放置したままの災害対策はあり得ません。土地利用の規制と住宅移転の重い課題ですが。
危機管理意識の育成や,流域一体の監視体制・避難体制などは一朝にしてできるものではありません。ハザードマップ(土石流危険地域図など)を作成して配布し,そこから防災意識や身近な自然現象に目を向けるべきです。
住民や行政も日に見えるものや,衆目を集めやすいものに動きやすく,地道な行動や着実な進歩を見過ごしています。効率社会の側面でしょうか。
※本資料は、第2回渓流保護シンポジウムの資料集をOCRで認識したものです。
認識の誤りによる誤字等があるかも知れませんのでご了承ください。 (渓流保護ネットワーク 吉沢)