烏川を登り初めて間もなく見えた、段差をなして落ち込んでいる滝下を流れる美しい渓谷、その周囲の天然の樹々、ちょうどその時姿を見せた、つがいのオオルリ・・・これらを見ていて、どうかこの美しい景観がいつまでも無事でいてくれるよう祈らずにいられなかった。そして今までにこの様な美しい渓谷が、あちこちでいくつも姿を消していった事をほんとうに残念に思った。
小野沢ダムに限ったことではないが、土石流が流れて行く先にキャンプ場や公共の施設を造り、それを守るという理由で砂防事業の必要性が強調され、烏川渓谷緑地に造ったビオトープの池が、豪雨の土砂で埋没したからという理由で河川改修事業が必要とされるという方式がこれからもまかり通って行くとしたら日本中の美しい渓谷がいくつ壊され、イワナや水生昆虫、その他水辺の動植物がどれほど生息場所を奪われ続ける事になるだろう。
中房ダムを見学で見たのはほんの一部で、他は映像でしか見てないけれど、ほんとうに美しい渓谷で将来に引き継ぐべき、みんなの財産です。それを壊すにはよほどの理由が無い限り許されるものではないのに、見学で見たダムは「何故ここに砂防ダムが必要だったのか」という疑問だけが残った。
たくさん造り、たくさん捨てて、地球ににダメイジを与え続けた20世紀から、環境を大事にして、持続可能な社会システムへと大きな転換期を迎えている今、砂防ダムは根底から見直さなければならない時期にきていると思う。具体的には何よりもダム計画を建てる段階で、様々な人をいれてほんとうに必要なダムかどうか(あるいは造ることのプラス、マイナス)を徹底的に話し合うことではないかと思う。ダム建設を前提とした検討委員会のようなものは今後通用しないのでは無いだろうか。
毎年松本城を見に来たいという人は少ないけれど、毎年上高地に来たい人はたくさんいる。自然が持つ力、特に21世紀に必要といわれる「人を癒す力」は人工物とは比べものにならず、その意味でも渓谷の持つ自然や美しさは今後もっとずっと高く評価されていくでしょうし、それを壊す砂防ダムは今よりずっと厳しい目でみられるでしょう。そうあって当然と思います。
渓流に造られる砂防ダムの見学会への参加は私にとって初めての事でした。折り悪く雨の中でしたが、雨に煙る深い新緑におおわれた山間の渓流の何とも神々しいまでの美しさそして深々とした木々に両岸を守られながら、渓流を成して行く水の音を聴く中に居て、下界の暮らしから隔絶した、何とも言葉に現せない心の安らぎをおぼえました。
行くうちに既に造成された砂防ダムの幾つかを見学して、自然の織りなす美しさを遮断するコンクリートの壁の見苦しいまでの不似合いな姿にがっかりすると共に、この場に本当に砂防ダムが必要とするだろうか、限りなく疑問が湧いてきました。
特に今ある砂防ダムに、堆砂した土砂の放置した為に予想される災害のほうが心配になります。
小野沢砂防ダム建設予定地点では、特に景観もよく、二つもの砂防ダムが必要とされるだろうか。もし危険個所だから必要とするならば、なぜその地点への「ほりでーゆ四季の郷」やキャンプ場を造成したり、またまた国営アルプス公園や県営烏川公園等を建設するのであろうか、此の事の説明を行政側に問うてみたいと思いました。
また中房川上流中房砂防ダムは、公園の一環として造成されたと見られるが、今までの自然の成す木々に守られていた岸辺が、ダムを造成したが為としか判断の出来ようのない無惨な姿に破壊されている。又ダムの竣工祝いと見学のために造成された道路も全壊している。巨額の費用を投じての此の現実は、どの様に県行政は責任を果たすのであろうか。
こうした現実を目のあたりにして、ダム行政への疑問が新たに湧いてきました。
下流に住む人々の為にとは大儀名文であって、工事の為の工事としか思えない現実に突き当たりました。
砂防ダムが是非必要とする場所も他にはあろうかとも思いますが、烏川、中房川の渓流には、自然の織りなす自然護岸が形成されていて、新たな砂防ダムは必要ないと思いました。
初めて実際に現地を見ることにより実感でき大変良かったと思いました。
10何年たっても堆砂の無い砂防ダム。自然の摂理を考えない中房砂防ダム公園の破綻。魚の登ることの出来ない魚道。
上流にダムを造ることによって下のダムに堆積する土砂、等々現地を見れば一目瞭然であった。
砂防ダム全てが不要とは言えないが、余りにも今までしてきたことは(人間が)ごう慢で、自然を冒涜していることが多すぎます。
しかも私達の大切な税金を湯水のように使い、環境を破壊しているのです。
もうこれ以上自然を壊して欲しくない、そして税金は国民が豊かに生きられるよう、福祉や教育などに回して欲しいと思います。
今までの過ちを更に繰り返すような小野沢ダムの建設は是非とも中止して下さい。
水の中を歩いても平気なこれから、中房渓谷を歩くことがあったら是非連れて行ってもらいたいと望んでいます。
土石流の発生する危険がある小野沢の合流点に不自然な県営烏川渓谷緑地公園を造っておきながら、利用者に危険があるから砂防ダムが必要というのは本末転倒で、美しい国土の大半を荒廃させてきた開発指向の建設行政が未だ継続していることがわかり悲しい気持ちがしました。
土石流災害から人命を守るという錦の御旗を掲げて、山奥の渓流まで重機を入れて、コンクリート構造物を造っていることは、後の世の人(が残っていたとして)が見ればまさに自分で墓標をつくっていたように感じるでしょう。
今、必要なことは、人間が作り出した土石流の原因である森林荒廃に目を向け、数十年から百年以上の長いスパンで山を手入れしていくことではないでしょうか。それまでは、自然の力に畏敬の念を持って、(人間にとって)危険な場所に、危険な時には近づかないことが一番です。
目先の欲(それを望む人の声)に惑わされて、かけがいのない自然を壊すことばかり考えるのではなく、みんなのため、それは今生きている人だけでなく過去に生きた人、そして未来に生きる人のために大切な自然を残すべきだと思います。
2000.6.14