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昼休み、龍也は弁当を大急ぎでかき込むと、職員室へ向かった。 朝と同じに、職員室の入り口で厳重な認証チェックを受け、ドアを開いて中に入る。 見渡すと、美和子は自分の席で書類のチェックに没頭しているようだ。 龍也が席に歩み寄ると、美和子は書類から目を上げた。 「あ、来たわね龍也君。それじゃまず、最初の仕事だけど……」 そう言うと、美和子は席の横に積み上げられている書類の山から、バインダーにとじた厚い書類の束を抜き出す。 「まずはこれよ。悪の秘密結社の先月の動向報告。各所からの報告書が全部入ってるから、内容をこっちのパソコンに入力してほしいの」 美和子は当然のことのように口にしたが、龍也の頭には(言うまでもなく)その言葉に含まれていた用語はまったく予想もしないものだった。 (悪の……秘密結社?) 龍也は言葉を失い、数秒考えて出てきたのは、何ともまぬけな返答だった。 「あの……悪の秘密結社って、なんですか?」 美和子は一瞬、きょとんとした表情をしてから、何を当然のことをというように、多少のいらだちを含んだ口調で答えた。 「悪の秘密結社って言ったら、決まってるでしょ! 世界征服からお金儲けに民族弾圧まで、不法な目的を果たすために活動している集団のことよ」 「いや、そーいうことじゃなくて、……その、学校の週番の仕事にどうして悪の秘密結社が関係してくるのかと、聞きたいんですけど……」 美和子はますます、理解できないという表情になる。 「え? 当然でしょ。ここはVEEDAなんだから……」 そう言ってから、急に気が付いたように、美和子は龍也の顔をまじまじと見つめながら 「……あなた、もしかして何も知らないの?」 「え、えーと……」龍也は少し迷ってから、「はい」と答えた。 何がどうなっているのやら、さっぱり分からない。ただひとつ自信を持って言えること、それは何がなんだか分からないということだ。 「ふうん……。たま〜に、うちの学校のこと知らない生徒が入学してくることがあるけど、あなたが知らなかったなんてねぇ。てっきり、事情を知った上で転校してきたんだと思ってたわ」 美和子は一人でうなずいてから、携帯を取り出してダイヤルする。 「……あ、みつえ? 今どこ? あ、ならちょうどいいわ。ほら、あの龍也君に事情を説明したいから。びっくりよ、彼、何も知らずに転校してきたんですって。……あ、来なくていいわよ。そのまま校長と一緒にいて、こっちから行くわ」 電話を切ると、美和子は立ちあがり、ついてくるように龍也に身振りした。 「龍也君、一緒にいらっしゃい。あなたにわかるように全部説明してあげるわ」 美和子は龍也を従えて職員室を出て、廊下を歩き、「校長室」という表札のドアの前で足を止めた。 職員室のときと同じように美和子が認証を受けると、重そうな金属のドアが開く。 中は校長室らしく、校長用の大きな机と立派な椅子、それに応接セットに書類棚……なのだが、この学校の他のあらゆる施設と同様に、そのすべてがやはり普通ではなかった。 まず、校長の机は普通の長方形ではなく、座席を取り巻くような扇形に作られていて、左右には小さな計器かスクリーンのようなものがいくつも並び、たくさんのスイッチやボタンが据え付けられている。椅子は豪華というより頑丈な作りで、身体をしっかり固定するようになっており、良く見るとシートベルトのようなものまで付いている。 天井を見ると、そこには大型のスクリーンらしいものが据え付けられている。どうやら可動式で、使用するときには降りてくる作りになっているようだ。 その他の設備や道具もすべて、この学校に共通した「どこの学校にでもある普通の設備のはずなのに、何か普通でない」雰囲気を漂わせている。 そして、その椅子に座っている、おそらく校長であろう人物は、二人が入ってくるのを見ると、ソファに座っていた白衣の女性との話を止めて二人に向き直る。 「やあ、大豪寺龍也君だね。いやぁ、よく来てくれた」 よく通る大声だ。五十代くらいのでっぷり肥った男。いかにも豪快な性格を思わせ、まごうことなき貫禄を漂わせている。 美和子は校長に礼をしてから、龍也のほうを振り向いて 「龍也君、うちの校長の梶原 大樹 (かじわら だいき)よ。それから……」 と、白衣の女性のほうを手で示して続ける。 「松戸 みつえ (まつど みつえ)、うちの校医なの」 「あ、はじめまして梶原先生、松戸先生。今度転校してきました、大豪寺龍也です」 「やあ、ようこそ龍也君。君のことは啓祐君からよく聞いておるよ」 「……え、父から?」 「おお、そうだとも。君の父上は……」 話を始めようとした梶原に美和子が割り込み、片手を上げて制する。 「校長先生、そのお話は今は……」 「おお、そうだったな。説明が先だ。では美和子君、頼むよ」 「はい、それでは……」 美和子はまた龍也に振り返る。 「それで龍也君、どこまで知ってるの? この学校のこと」 「いや、どこまでも何も、僕は普通の高校のつもりで転校してきたんですけど……」 「そう。てっきりお父さんから聞いてると思ってたんだけど……」 美和子は口に手を当てて少しの間考えてから、おもむろに話を始めた。 「いいわ。それじゃあ、そもそもの始めから説明してあげる。この学校、私立備騨高校はね、普通の高校じゃないのよ」 「それは……なんとなく気がついてました」 ……っていうか、朝からこの学校の状況を見ていて、普通の高校だと思う人がいたら見てみたいものだ。 「そう。それじゃあ話は簡単ね。私立備騨高校とは世を忍ぶ仮の姿なの」 そこで、美和子はわざとらしくポーズを取る。右手を高く振り上げてから、指を龍也に突きつける。どこかから(ずびしっ!)とか擬音が聞こえてきたような気がした。 「その実体は、正義のために戦うヒーローを育成する『戦闘学園VEEDA』なのよ!」 と言い放った。 「……………………」 龍也は軽いめまいを感じた。 「……あら? 何かしら、そのリアクションは?」 「えーと、そもそも……どう反応したらいいんでしょうか?」 「どう反応って、正義のヒーローよ! 悪の秘密組織と戦って世界の平和を守る学校よ! そして、あなたはその学校の一員になったのよ! もっとこう、ワクワクするとか、使命感に燃えてきたとか、そーゆー反応はないの!?」 美和子は両手のこぶしを震わせて力説する。これが映像だったら、バックに炎とかイナズマとかの大げさなエフェクトが重なるところだろう。 龍也が当惑していると、さっきから黙っていた、みつえと呼ばれた女性が口を開いた。 「本当よ龍也君。この学校は戦闘学園VEEDA、悪の組織と戦うために秘密裏に設立された学校なの。本当は政府直轄なんだけど、これは機密事項よ」 美和子とは雰囲気が大きく違う、端正な美人で知的な雰囲気の女性であるみつえの言葉は、美和子の言葉よりは信憑性があるように思われた。しかしそれでも、正義の戦闘学園などという話は、にわかには信じられるものではない。 「うーん、どう説明したら信じてもらえるかしらね……?」 美和子が首をひねっていると、部屋のドアが開いて、制服の上からエプロンをはおった小柄な女の子が入ってきた。 「あの……、お茶をお持ちしました」 「あ、鈴音ありがとう。そこに置いてって」 「はい……、それから、築北村広域連合の方から連絡が入ってます」 「築北村広域連合? ……きっとまた寄付金の話ね、しょうがない。……あ、でもちょうどいいわ。龍也君に見せてあげれば、きっと納得するわね」 美和子は急に思いついたように手を打って笑顔になると、 「鈴音、広域連合と話すから、ここのスクリーンにすぐつないでちょうだい」 「え? よろしいんですか? 悪の秘密組織の方々との話し合いは一応機密では……」 「いいのよ、どーせ機密なんて適当なことだし。それに龍也君はね、ほら、大豪寺先生の息子さんだから、まあ身内? そんなとこだし」 「はぁ……」いまいち納得していない様子ながら、女の子は校長席の横にある操作パネルを操作する。 天井に設置されていた大きなスクリーンが、機械音とともに降りてきて、校長席の前に斜めの角度で固定される。一行はスクリーンの画面が見られる位置に移動する。 スクリーンに大きく映し出されたのは、スーツ姿の強面の中年男だった。その顔つき、雰囲気から、「その筋の」人物と明らかに想像できる。 しかし、その雰囲気とは裏腹に、態度は妙に穏やか、いやむしろ卑屈と言った方が近いくらいだった。 「どうも、築北村広域連合です……」男はおずおずと話し始めた。 「ああ、築北村の高崎さんね? また何か問題でもあったのかしら?」美和子が話を引き取る。男と対照的に、美和子の口調はいかにも「もううんざり」という態度だった。 「へい、今月の上納金のことで……」 「シャーラップ! 上納金じゃないでしょ! 寄付金! 寄・付・金でしょ!」美和子が男の言葉を鋭くさえぎる。 「へ、へい、その寄付金ですが……今月からいきなり20%の値上げというのは、さすがに当方としても対応に困る状況でして……」 「あーはいはい。だいたいそんなこと言ってくるんじゃないかと思ってたわ。でもね、あなたたちの組織のやってる活動を適切に処理するためには、政府の関係各所にいろいろと手を回す必要があってね、そのために必要な費用を請求してるだけなのよ。それくらい、分かるでしょ?」 「へい。その、もみ消しに必要な費用のことは承知しておりますが……」 「ちょっと! もみ消しじゃないでしょ! 言葉に気をつけなさい! 『適切に処理』、いいわね?」 「了解しました。それで名目はともかく、20%の値上げというのは……」 「しょうがないわね。じゃあこうしましょ。ぎりぎり下げて16%。値上げ分は二か月支払い猶予しましょ。これ以上は譲れないわよ」 「へ……はい。しかし、それでも……」 「文句あるなら、おたくの組織の最近の活動を全部警察庁本部に報告してもいいのよ? 証拠は全部うちで持ってることは知ってるでしょ?」 「……わかりました」男はうなだれて同意する。 「よろしい。それじゃ、話はこれで終わりね。それじゃ、手続きよろしくね」 美和子が身振りすると、スクリーンの映像は消え、スクリーンは元通り天井に巻き上げられた。 そのやり取りを、龍也は呆然と見守っていた。 (今の会話って、いったい……) 「さてと龍也君、まあこんな調子よ。このVEEDAは、全国の悪の組織を『管理』して、平和を守っているわけ」 美和子は当然のことのように、あっさりと説明する。 「いや、これって管理って言うんでしょうか……? どっちかというと……」 (これって「恐喝」じゃないですか?)と口にするのは、龍也はさすがに控えた。 「龍也君」美和子は龍也の肩に手を置き、龍也の目を覗き込んで言葉を続ける。 「世界から悪がなくなるのは、それは理想的なことよ。でも現実には、世界からすべての悪が消滅するなんてあり得ない、言うまでもないわよね。だからVEEDAは現実的な方策を採っているわけ。全国の悪の組織を把握し、管理する。そうして、その活動が限度を超さないように常に見張っているわけよ。これが、ヒーロー育成ともう一つのVEEDAの任務、世界の安全を影で守る役目なのよ!」 「……でも、その悪の組織からお金を取り立てるってのは……」 「世の中、何をするにもお金は必要よ。警察だってタダで治安を守ってるわけじゃないでしょ? このVEEDAも、全国の悪の組織を管理するために必要な費用を、寄付金として徴収しているだけ、これは正当な行為なのよ」 「いや、でもこれって……」 龍也は言うべき言葉を思いつかず、言葉をにごす。 その龍也の様子を見て、美和子は追い打ちをかけるようにたたみかける。 「龍也君、正義はきれいごとじゃ済まないのよ。戦争だってない方がいいに決まってるけど、現実には戦争をなくすことはできない、第二次世界大戦だって、無理に戦争を避けようとした結果、かえって起きたとも言われてるわ。社会全体を最善の状態に維持するには、ある程度の必要悪は許容せざるを得ない、それが社会の現実、そのことから目を背けてはいけないの」 龍也の両肩をがっしりと掴んで、美和子は押し込むように最後の一言を口にする。 「VEEDAの将来を担うあなたには、その現実をしっかりと認識してほしいのよ!」 美和子の勢いに呑まれた龍也は、思わず「そ、そうですか……」と返事してしまう。 なんだかものすごい詭弁を聞かされたようで、頭の中が整理できず納得できない。 しかし、とにかくこの学校が普通の学校ではなく、ヒーロー育成だか悪の組織の管理だかはともかく、怪しげなことをしているらしいということだけは、龍也の頭にも疑いなく刻み込まれた。 (戦闘学園VEEDA? いったい何なんだ、それ……?)
月曜日: その4 |