クリック?

「ふぅ……」
 画面から目を落とし、溜息をつく。
 目の前の画面には、とあるWebページ。写真と、長い説明の下に、ボタンが二つ。
 どっちかのボタンを、クリックしなきゃならないんだが……。
 できない。ボタンをクリックしようとすると、指先が震える。しばらくためらった後で、またカーソルをボタンから動かしてしまう。
 そのクリックの結果が、重大過ぎるからだ。
 どっちをクリックするかで、一人の人間の運命が決まってしまう。

 何年か前、パソコンがほとんどの家庭に普及し、インターネットへの常時接続が常識になったころから次第に、政治のいろいろな問題について、Webを使った直接投票が始まった。パソコンを持っていない少数の家庭には、必要なパソコンが支給されることになった。
 最初は市政上の、たとえば公共施設の建設を許可するかといった問題から。やがて県や国の政治上の問題も直接投票になり、最近では消費税を十パーセントに増税するかについて全国で投票を行ったのはみんな憶えているだろう。
 で、今年から始まったのが、重大犯罪に関する国民陪審制というやつだ。裁判所のWebページに、調べられた限りの事件についての資料が掲載される。そして、被告を有罪と考えるか、無罪とみなすかを投票する。それによって、判決が決定されるのだ。
 それで今回の女子大生殺人事件だが、証言、証拠、その他の資料を全部読んでみても、被告が有罪とも無罪ともはっきりと分からないんで困ってしまった。
 ページの隅には、これまでに投票された有罪、無罪それぞれの票数が表示され、再表示するたびに更新されている。
 迷っているうちにふと気が付くと、なんと有罪と無罪の票数がぴったり同じ。しかも、投票が終了するまであと一票。つまり、次の一票がどっちに投じられるかで、被告が有罪か無罪か決定される。
 ……というわけで、俺はさっきから悩んでいるのだ。

 正直、投票したくない。俺の一票で有罪か無罪か決まるなんて、まるで俺の責任みたいじゃないか。
 誰かがこの一票入れて、終わりにしてくれないかな。そう思ってさっきから何度も状況を確認しているのだが。最後の一票をだれも投じようとしない。やっぱり、みんなも俺と同じく、自分の責任を感じたくないってことか。
 ううむ。
 これで何度目か、資料をよく読み返してみる。挙げられた証拠。目撃者の証言。状況証拠。動機。その他もろもろ……。
 いくら読み直しても、結局はっきりと判断できない。
 もしも有罪に入れて、もしもこの被告が犯人でなかったら……、とんでもないことだ。かといって無罪に入れて、犯人だったら……、被害者が浮かばれない。
 ちきしょう。国民陪審制なんて考えたのはどこのどいつだ。
「にゃ〜」
 俺が煮詰まっていると、飼ってる猫が後ろで恨めしげに鳴いた。
 また、飯よこせってか。いま忙しいんだ、後にしろ。
 って言っても、猫は言うこと聞きゃしない。
 後ろから寄って来て、ぴょんと飛び上がり、俺の背中にしがみついて肩の上に乗り、また恨めしげに鳴く。
 ええ、うっとうしい。好きで飼ってる猫でも、こんな時は邪魔でしかない。
 猫が乗ってる方に首を向けて、首根っこを引っつかもうとした。
 と、俺が急に動いてバランスを崩した猫は、俺の肩からずり落ちて。
 机の上に落ちたまま、その机からも落ちそうになり。
 伸ばした前足が、そこにあったマウスをつかんだ。
 カチ。
 ……あ。
 クリック、しちまった。
 猫がクリックしちまった。
 これで、この被告の運命は決定。
 ……まあいっか。俺のせいじゃないし。