浜野:ではこれから90分間「Robot-ismメカニズム」ということでシンポジウムを進めさせていただきます。そこで、ロボットの話ならやはりこの方だろうということで、富野由悠季さんをお迎えしまして……その富野さんの作品を見て来た世代の私、浜野と、そして村上さんとでもちまして。日頃は対談やインタビューの相手をイジメられている富野さんですが、普段とバランスをとるべく今日は二人で逆にイジメさせていただこうか……などと考えています。

富野:御紹介にあずかりましたように、世間からはロボットアニメ・イコール・富野だと思われてしまっています。ですが、日本の一連のロボットアニメ……あれらがロボットだなんてことは、どっかのバカな奴が言ったことでして。アレらはロボットでもなんでもない。日本のアニメに登場するロボットと呼べるべきものは「鉄腕アトム」くらいのもので、以外のものは単なる乗り物ばかりです。ロボットというのは単独で動けるものを言うのでありますから、その他、一連の人型機械の大多数は乗り物でありましょう。ですが、まぁ、日本のロボットアニメというものがここまで大きな産業となり、世間に定着してしまった以上、本来的な意味ではともかく通俗的な一般論でいうところではあれもロボットなのでして、そこからすれば、ロボットアニメの富野ということになるのも認めざるを得ないとは思っています。

村上:いやぁ〜、富野さんという方と今日、お会いしましたらいままでアニメ誌等で見て来た通りの人でして(笑)……いや本当に。で、先ほどまで楽屋の中で濃い話をたっぷり聞かせていただいて私は既に満たされてしまってます(爆)。

浜野:で、富野さんの手がけられて来たロボットアニメなんですが、これがまた卓越な設定でして、ロボットが危機の時は操縦者もまた危機であり、与えられた強さも痛みをも主人公がそれと共有できるということで、これは偉大なジャンルの発明だと思うのですが、

富野:お言葉は嬉しいですが、それを産み出したのは僕ひとりではないです。マンガ家の永井豪さんも含めた多くの作り手、さらには日本という国、東京という都市という社会風土によって出来あがったものです。そう、道具というのは単なるモノではありません。たとえば携帯電話ひとつであれ、それが使用された時には道具という切り離されたモノではなくなります。それは人間の生活の一部になるわけです。道具との共生がなされ……ロボットアニメにおいては、ましてやそれが人型をしているんです。人形だとかフィギュアだとか、これはもう、人間に激しく感情移入を起こさせます。だが、それじゃ、劇中に同化してしまっていいか? いや、同化なんてするもんじゃない。そうではなしに、あくまでも主権は我にあり。自分が主体であるからこそ、結果に対して責任を持つことになる。実際、僕がそうして来ました。だから言います。主権は我にありは間違いない…と。

浜野:
ロボットを過剰に素晴らしいものと思い込んではいけないというお話でしたが、お言葉を返させていただけば、現在放映中の「∀ガンダム」にしましても、ターンAが出て来るまでを、話の中でかなりに引っぱる。これはもう、魅力的すぎるんですよ。ちょうど、かつての黒沢明作品で、悪役が正義よりも魅力的であったように。

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