お茶の間アニメ21世紀

HPで募集のQ&Aより

Q:(大地さんのような)アニメ監督になるにはどうしたら良いんでしょうか?
A:まず「おそ松くん」を見てインパクトを受けて(笑)、役者をめざして……そうしているうちに行き場が見えて来ます。
Q:「十兵衛ちゃん」の転校生ラブリーズの制服が他の生徒と違うのはワザとですね?
A:あ、気がついてもらえましたか。あれは桜井くんの出してくれた案で、転校生だから新しい制服が出来てなくてバラバラの違う制服を着ていた方が転校生っぽく見えるんじゃないかと(その結果、木造校舎のバンカラ少年がいる中に今風の女子高生というテイストになった?)。まろだけ半袖ですね。
Q:便器少女の元ネタは『こどちゃ』のお正月スペシャルですか?
A:また、みんな見てくれてるなぁ〜。そうです。もともとは「おぼっちゃまくん」でオクラ入りになったプロットで。パーマンのマスクというネタなんです
 けど、藤子キャラのパーマンが使えないとなるとギャグとして面白くないと思ったんですけど、便器までいくとまた壮絶ですから。使えないと思ってたんです。けれど、『こどちゃ』の最終回が決まってたんで、大丈夫だろう、いっちゃえ!! と。ばびっとの予告で「直澄クンのファンは見ない方が良い」とか言ってて、前代未聞ですね。予告で視聴者に対して「見るな!」と言うなんて。普通は、「見てね〜」「絶対に見てね」とか言うものなのに。結果的に直澄くんの最後の出番がアレだったのかな? 南央美さんには「ゴメンね」と謝りました。
Q:『ドラえもん』の頃も現在と同じ名前でクレジットされてますか?
A:あの頃は、秋太郎の名で出てますね。昔の作品で『コナン』なんですけど、最初にスタジオに行った時に第一話をやってて、次に行った時にオープニングをやってて。「二つの大国が戦争で云々〜とナレーションが入って、パンダウンするとピカピカっとタイトルロゴが光るんですけど、アレは撮影ミスです。本当はパンダウンしたまま1秒くらい間をおいて光るはずだったのが、抜かされてしまってます。8話から正式スタッフになりました。『コナン』で何をやっていたかというと、撮影助手なもので、「3秒でーす」「次の1コマでーす」とかそういう声を先輩にかけるアシをやっていただけなもので、単なるバイトと一緒です。だから、いまマニアの人が「コナン」を見て「おッ、ここでタイミングが微妙に速いところは大地演出じゃないか?」「飛び上がる前に動きのタメが入ってたのはもしや?」なんて勘繰ってる人がいたとしても、そういうことは絶対にありません。あと、やってたのは線取り作りなんですけど(アテレコの時用に赤とか青の線が入ってたりするアレ)で、それは本編には一切のこらない作業ですからね。

・最新作について
「今、そこにいる僕」についてはエンディングに想いが込められています。ララバイ……いつもいつも僕が見ててあげるから安心してお休み。この子守歌を言い切ることはけしてなまやさしくはないでしょう。
 傷つけあうことに慣れてしまった世界でね……。

・お茶の間アニメ21世紀
 このタイトルは今日の会のスタッフがつけてくれたもので、凄く言葉の響きは良いんですけど、どういうことかとなると……どういう意味でしょうかね(笑)。
 自分について最後のアニメが何かな?っとなると、押井さんの『うる星やつら』なんですよね。「若、牛丼をお持ちしました」「若!」「若!!」って最後に何十人もの黒子が牛丼を持って囲んでて「あぁ〜面白れェなぁ」って見てたりして。
 実写も含めたら……てなると、それでも『スケバン刑事』までさかのぼることになっちゃったりして。『スケバン刑事』も『2』までは好きで見てたけど、『3』なると見てた覚えがなくて、それ以降もずっと毎週みるのを楽しめたものってないような気がするんです。もちろん『古畑任三郎』とか『踊る大捜査線』とかの最近のドラマは見ていないわけじゃないし、それが不満かといえば、面白くできている……っと感じるわけなんですけど、それでも『スケバン刑事2』を自分の中で超えちゃいないなと(爆)。
 昔の番組の本数が少なかった頃のほうが面白かったんですかねぇ。作品数が増えたら、薄まっちゃてるのか。
 あ、ここでいっときますけど、自分の中で「アニメ」と「アニメーション」てのが区別されてて。

 アニメ……「うる星やつら」みたいなのに代表される。娯楽(エンターテインメント)。
 アニメーション……というのは、技法であり、命を与えることであり、動きであり。より作画に重点が置かれ、作家性をともなう。芸術的なもので。

 自分のやっているのはそのアニメ中でも、題材として大風呂敷なものより、身近なものをクリアしていく生活が主体で。それこそ
・お茶の間
・四畳半
・路地裏
 そういった言葉にあらわされるものを描いていきたいです。
 共同体の小さな単位である“家族”というものとか。
「こどのおもちゃ」も「十兵衛ちゃん」も両親の片方が欠落から来る家族像というものがありますね。
 その欠落というのは本音を言えば「家族を描きやすい」「家族が増えると面倒くさい」というのがあるんですけど、要因的にはね。
「十兵衛ちゃん」なんか父と娘というものを描こうと思った時に、母の存在というのは邪魔になりますし。

 あと、描きたいものとして、『こどちゃ』であった“しっかりしてよね、大人!”ということがあって、それはアニメージュ連載の「まかせてイルか」がテーマ的に抱えていきますね。

 子供の時に感じたものを忘れず、初心に戻るということを大切にして……無理をしないこと。

 喜怒哀楽の“楽”ってなんだろう? 笑いだとか歓びだとか……てのは“喜”なんじゃないか? じゃ、最後の“楽”ってやつは!?
“楽”ってのは心のニュートラル。自然に還れること。本当の自分に還れること。

 すると“いまの子供に用意してあげる未来”を作りたくなりますね。平和で豊かな。それは『いま、自分の身の回り』から始めることでしょう。

(第2部・了



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