「赤ずきんチャチャ」……それに「こどちゃ」もですが、録音監督で田中一也さんという人がいまして、この人が実は元々アニメの録音監督の人じゃなかったんです。で、アニメの経験がなかったがために、色々と実験的なことでもやってくれまして、「二重会話ってできます?」「あン!? できますよ、やりましょっか? ここをこうして……なんなら三重会話でもできますけど」「えぇ〜ッ! できちゃうんですかァ!!」というような調子で。だから、田中さんでなくキャリアのある人が仕事として録音監督を職人的にやっていたら、「チャチャ」の佐藤・桜井・大地の暴走演出は誕生せず、『こどちゃ』もまた、あのような作品として視聴者の目に触れることはなかったのかしれませんね。
 あと主題歌の話をしますと、最初は当然ながら与えられる主題歌でした。「TOKIOの『19:00のニュース』を使ってね」「はい、わかりました」で。「こどものおもちゃ」の途中から参加させてもらえるようになって、打ち合わせに加わり、作詞もしたりして。
 で、完全に自由になったのは「おじゃる丸」でです。
「どうします?」と聞かれて、北島三郎……サブちゃん……と、頭に浮かんで答えながら、「NHKならできるだろう」と期待して。
 で、「いいんですね?」と問われて、内心で「ヤッタ」と思い、「本当に、いいんですね?」「大丈夫です。絶対に映像と合いますから!」とか答えながら根拠はまったくなかったりして。「電話で話をしたらOKが取れた」と聞かされた時は「ヤッター!」と。
 そして、その次なるが少女隊。
 なぜ、少女隊が好きかというと、自分にとってのアイドルというのがアグネス・チャンで止まってしまってるもので、ちょっとマズイかな……と、色々とアイドルというものを聴きまくってみたら「少女隊」が非常に良くて。だけど、いい大人が少女隊のファンというのも気恥ずかしいよな……と思ってたら、当時の職場で年上の人でやはり少女隊が好きな人がいたもので、「良いですよね〜」と意気投合。なんだ、オヤジでも少女隊ファンはオッケーなんじゃないか。よ〜し!……と思ってたら、「解散決定しました」でアララ。
 時を経て、引田とも子が雑誌の企画で少女隊の対談がある時に、「監督、一緒に来ますか?」と言われ「行く行く!」
 そして対談終了後、他のメンバーに紹介され、「再結成って、やってみたい?」と聞いてみたら、全員それぞれYESの答え。
 それじゃと「十兵衛ちゃん」で音楽プロデューサーに「あのさ、本人達のオッケーはとれてるんだけど、主題歌に少女隊って使えないかな?」と声をかけると、「やってみましょう」との答え。
 実はこの後が、もの凄い難題をクリアしていかなければならなかったんだけど、彼がまたその苦労を一言も口に出さず、一つ一つこなして最終的に「大地監督、使えますよ」「で、少女隊の名称も出せるの?」「使えます。少女隊の名前を使用できます」となって、その後で、安原麗子に出演依頼。
 すると、麗子としては30歳になり芸能人として一つの転機というか曲り角というかにさしかっているので、いままでとは違う仕事も試してみようかと思っていたところで……オッケー。
 で、これまでもちろん声を出す仕事をしていたわけで、女優経験もあるわけで。ただ、最初は画面を見ながらしゃべるってのの要領がつかめなかったようですね。これは、初めてアテレコやる人は、みんなつまづいて、そのうちできるようになるんだけど。
 コレができなかったのが、ぜんじろうさん。台本を見ると目線が下を向いてしまって必然的に画面を見ながらしゃべれない。そのまま2年間マスターできず。ラストになって、「ぜんちゃん、台本をこう持って、こう向いてセリフを言ってみたら?」とアドバイスしたら、「え? どうすんの? こう持って、こう? あッ、なんや〜、カンタンやないか。えっらい簡単!!」と本当に一発で覚えてこなしてみせてくれて……誰か教えてやれよなぁ……

 あ……それでアニメを作るということについてなんですけど、テーマ論としては、基本的には笑いがテーマです。
 それにプラス、命というもの。
 親と子を描く際にも、それは関わってきます。たとえば「こどものおもちゃ」で直澄クンとその母の対面なんていうのにも、そこにも個の命というものが根底にあり。
 作品に対して、自分が良いと思ったものは他人にも良いと思ってもらえるはずだ……ってことが大前提。そう信じてなければ、作品を作るということなんかやってられません。


※第一部終了15分休憩



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