| COP6に参加して |
| 坂田裕輔 |
| 気候変動枠組条約第6回締約国会議がオランダのハーグで開催された。日本からは川口環境庁長官をはじめとする政府代表団が現地入りし、交渉に臨んだ。同会議は、11月13日から25日まで2週間の日程で開催された。今回の会議では、京都議定書の発効に向けて、国際的な温暖化対策に向けた具体的な方法について合意することが目的であった。 会議の主な論点は、シンクの取り扱い、京都メカニズムをどう設計するか、遵守制度の設計、途上国支援はどうするのかという問題などであった。このうち、メカニズムについては議論はほとんど進まず、先送りになってしまった感が強い。遵守制度・途上国支援については交渉担当者の間では落としどころが見えてきている状態のように思える。シンクは後述する米加日提案を契機として、再び対立があらわになったという印象を受ける。 メカニズムに関する交渉は、NGOに公開されたセッションは実質的には初日の1回しかなく、その唯一のチャンスに会議を聞きながら眠りこけていたのは残念なことをしたな、と思う。ただ、初日のその会議は午後11時半まであり、旅の疲れが抜けない僕のようなものは大変につらい一日だった。ただ、各国の代表はさらに大変なのだろうということは予想がつく。会議自体は、最終的には、各国の主張が折り合わずに決裂した。なお、COP6は決裂のまま終了するのではなくいったん中断として、来年5月〜6月に再開される予定である。 私が参加したのは、前半、11月11日から翌週の19日までである。今回の参加はCASA(地球環境と大気汚染を考える全国市民会議)というNGOの一員という立場で実現した。そのおかげもあって、会議中、各国のNGOと意見を交換することができたが、日本政府の立場に対する批判が非常に強いことを痛感した。 決裂の原因 今回の会議では、森林による二酸化炭素の吸収に関して日本・米国・カナダの共同提案が、決裂の大きな原因となったようである。この提案によると、割当排出量に対して、日本は3.9%、米国は8%ものクレジットを得ることになる。この提案をはじめとして、今回の会議では、日本・米国などのEUをのぞく先進国グループは、森林吸収の拡大、京都メカニズムの利用拡大など、国内における温暖化対策以外の方法で京都議定書の目標を達成しようとする主張が多かった。 日本政府の主張の背景には、交渉の目的がEUをはじめとする多くの国々とそもそも違っていたためではないかと思う。日本政府は、京都議定書を出発点として、そこからいかに緩い規制を引き出すかという目的意識を持っているように見られた。一方、多くの国々は、地球温暖化を防ぐことを目的として、交渉に挑んでいるように見られた。つまり、京都議定書を「制約」と捉えるか「対策の第一歩」として捉えるかの違いである。 政府が京都議定書を制約と捉える背景には、議定書の目標を森林吸収や京都メカニズムの利用なくしては達成できないと考えているからだ。しかし、国内対策だけでも目標の達成が可能であることは気候ネットワークやCASAが研究で明らかにしているとおりである。 低い国内の関心 今回、会議に参加して実感したことが一つある。それは、日本国内における一般の関心の低さである。連日徹夜に近い形で会議が続けられているにも関わらず、報道の扱いは非常に小さなものであった。同時に、一般の人々も「何か会議をやっているらしいね」という程度の認識で、結果が自分達の生活にどう影響を及ぼすのかについてはほとんど関心がないようだ。これだけ、一般人の関心が低いと、政府の態度も温暖化対策に否定的になるのも無理はないのかも知れないな、とも思う。 温暖化はひとごとではない。自らの子孫の将来、あるいは自らの将来に直接影響が出てくる問題だ。対策を政府や他の誰かに任せておくのではなく、自らが対策をするという決意と行動が各個人に必要なのではないだろうか。一般の人々の小さな努力が政府に伝われば、政府の方針もおのずから異なってくるはずである。 一方で、政府代表団がブリーフィングで話した言葉が印象的だった。(補完性について、緩い基準でないと)「国内対策が厳しくなり、国民に負担がかかる」という発言であった。国民に負担をかけなければ誰に負担をかけるというのだろうか?やはり、海外に負担を押し付けようというのだろうか。ただ、それよりも重要なのは、いったい日本政府は国民を何と考えているのか、ということだ。環境問題について国民的な関心・議論が必要だというのは環境省も同じ考えであると思う。にもかかわらず、「国民に負担がかかる」という。これは、結局のところ、国際交渉は国民とは関係がない、最終的な負担が決定するまでは国民の関係するところではない、と考えているのではないか、という疑問が浮かんでくる。結局、国民を無関心にしているのは政府自体ではないのだろうか。 国民の一人として、政府はもっともっと国民を信頼して欲しい。我々の生活が地球環境に影響を与えているのなら、それを改める努力をしてもいい、と多くの人が考えているのではないだろうか。 日本政府の交渉力 今回の会議は最終的に決裂したわけだが、その主な原因は日本をはじめとするアンブレラグループの態度であったはずだ。特に日本は2002年の発効を目指しすことが今回の会議に挑む姿勢であった。それでは、日本政府の代表団は2002年の発効を目指して、今回の会議で(例えばEU案をのむというような)大幅な譲歩を行ない、合意を締結するということは出来たのであろうか。 この点については、これからも情報を収集していく必要があるが、私自身は否定的な印象を受けた。現在の日本政府の削減計画は、森林吸収や産業部門の対策など各部門別に削減目標を分割し、全体の削減を達成する計画となっている。そして、各対策項目はそれぞれの担当省庁に割り振られているのである。そのため、ある部分について妥協しその代わり別の部分については得る、そして全体的なパッケージとしての合意に至るということが非常に困難な状況なのではないかと感じられた。すなわち、政府代表団の持つ交渉のフリーハンドが非常に小さなものだったのではないだろうか。 国際交渉というものは、国内で十分な準備をして挑む必要があることはもちろんであるが、それ以上に現地での交渉の中で合意点が流動的に変わっていくものである。それにもかかわらず、代表団が大幅なフリーハンドを持っていなければ交渉の状況においていかれるばかりという結果となる。今回の交渉では、例えば、京都メカニズムにおいてほとんどの国がまったく言及していないODAの利用についての主張を繰り返したりしていたことがあげられる。交渉の重点が例えば補完性やCDM事業の内容に関するものに移っているにもかかわらず、国内で用意した主張を繰り返すだけならば、日本から会場に文書を送ってこれ以外は合意できない、と言うだけのこととほとんど変わらない。また、交渉相手にとっては、日本がどの程度までの譲歩を行う準備があるのかあらかじめわかってしまうという問題もある。 確かに、変な風に会議をリードされてはNGOの立場としては困るのだが、日本の国民としては、もう少し上手に国際交渉を行ってもらいたいものだと思う。そして、会議中にお互いの立場を尊重しながら流動的に合意点を探っていく、それだけのことが出来なければわざわざ高い費用を払って交渉に挑む理由はないだろう。 (本稿は南日本新聞掲載の原稿に加筆・修正を行なったものである) |