「社会的共通資本」宇沢弘文著 岩波新書 2000/11
案内人 Shin(岡田)
本書の根幹にある基本的認識は、「20世紀は資本主義と社会主義の世紀であった」ということである。さらに、19世紀末の状況と20世紀末の状況における類似性を認めている点にある。
1891年、ときのローマ法王レオ13世によって出された「レールム・ノバルム」(「新しきこと」「革命」と訳される)という回勅は、19世紀末のヨーロッパを中心とした世界が直面している諸問題を「資本主義の弊害と社会主義の幻想」と表現した。その100年後の1991年には、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が「新しいレールム・ノバルム」として、その中心的テーマに「社会主義の弊害と資本主義の幻想」を据えた。そのわずか3ヵ月後の1991年8月、ソ連社会主義自体が崩壊したのである。著者は、その過程で「新しいレールム・ノバルム」が関心をもたれたのは、社会主義から資本主義への移行というマルクス主義のシナリオに反した事態が起こったことであるとする。
次いで、1870年代にジェボンズ、メンガー、ワルラス等が形成した限界革命をベースとした新古典派理論について、その理論的前提を明確にした上で、その虚構が効率性のみ基準として資源配分のメカニズムを分析したものにすぎないところにあり、19世紀末から20世紀初めの経済不況に伴う失業と貧困という社会的問題を解決することができずに結果として1920年代半ばからのアメリカを中心とした金融バブルと1929年の世界恐慌をもたらしたことを紹介している。
また、新古典派理論の前提のうち、希少資源を摩擦なく自在に配分することができ、市場において安定的な均衡点を見出すことができるという前提が資本主義の制度的条件に矛盾していることに着目して理論的枠組みを構築したケインズ経済学についても、金融恐慌という「経済学の第一の危機」を解決し半世紀にわたってその有効性を発揮したが、1960年代半ば頃から顕著に見られるようになった世界的に不安定な状況を解決するには至らず、先進工業諸国と発展途上諸国との経済的格差を拡大するだけでなく、先進工業諸国においても、都市と農村との不均衡の拡大、環境破壊等々の問題が1970年代から1980年代を通じてますます顕著になり、「経済学の第二の危機」を迎えるようになったということを指摘している。
さらに、「経済学の第二の危機」以降の潮流は、反ケインズ経済学とよぶべきもので、新古典派理論の前提に基づいたマネタリズム、サプライサイド経済学、あるいは合理的期待形成仮説といった方向に向かい、実践としての経済学から乖離して展開されていることに対して憂慮を示している。
本書は、上記のように19世紀末から20世紀を通じた経済学の潮流を概説しつつ、マルクス主義的な思考の枠組みを超えると同時に、倫理的、社会的、文化的、自然的諸条件から独立して最適な経済制度を求めようとする新古典派理論を否定する立場として、ソースティン・ヴェブレンの提唱した制度学派の経済学を中心に据えて、具体的に「社会的共通資本」として大きく自然環境、社会的インフラストラクチャー及び制度資本の三つを挙げ、農業と農村、都市、学校教育、医療、金融制度、地球環境について制度主義の観点から各論を展開していくのである。
こうした制度主義における「社会的共通資本」の考え方は、その具体的構成が、先験的、論理的基準によって決められるのではなく、あくまでもそれぞれの国ないし地域の自然的、歴史的、社会的、経済的、技術的諸要因に依存して政治的なプロセスを経て決められるものであり、その管理・運営はそれぞれの分野における職業的専門家によって、専門的知見に基づき、職業的規律に従って、フィデュシアリー(受託・信託)の原則に基づいて信託されているものであるということを強調している点が重要である。
すなわち、「社会的共通資本」の供給者はそれを享受する者から信託されているのであるから、制度主義的な経済体制における国家の役割は、統治機構としての国家ではなく、すべての国民が、その所得、居住地などの如何にかかわらず、基本的権利を充足できるようになっているかどうかを監視するものでなくてはならないということになるのである。このことは、国家が「社会的共通資本」の供給者という立場にあるときには、自ら監視される立場にあるといえるであろう。
本書は、著者が1970年代以降に発表した論文を加筆訂正したものであると断っているが、あらためて、21世紀を迎えるにあたり、制度学派の経済学を中心に据えて、現代的課題である持続可能な経済発展を実現していくことが可能であるということを強調している点がユニークであると考えられる。また、「セーフティネットの政治経済学」のいうところの「第三の道」と軌を一にしているところも見逃してはならない。