小田原建築探偵   
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ソ連館の遺品。


大阪万博においてアメリカ館と人気を二分したのが
北口隅にあったソ連館。

万博で最初に入り、しかも夏休みなのに待ち時間
が殆ど無しで入ったパビリオンとして思い入れ深い。


以前にも書いたが私が入場したのは太陽の塔が
ドーンと見える中央口ではなく万国博西口。エビ茶
色の電車に乗って大阪市内からアプローチしたの
だ。

今思えばあれは阪急のコゲ茶色の車両だったの
かなぁって思う。


宿があった、その場所が大阪の何処だったのか未だ
解らず仕舞いなのだが何とかその場所を突き止め
訪れてみたい。


思い違いが無ければ、その駅は地下鉄なのに地上
駅だったって事。その時の私は地下鉄にも乗った事
が無く地下鉄も楽しみにしていたのだ。


それが何故か地上のホームだったのを記憶している。
乗った電車がやけに空いていたのも印象に残っている。
地下鉄なのに何故地上を走っているのかが不思議
だった。


万博初日夕刻から入り「さて、何処のパビリオンから
...?」と決めていた訳でもないけどソ連館なんて混雑し
ていて無理だと思っていた処、母親が「早く、早く...
空いてる空いてる」と手招きする方向に行ってみれば
「おお....ソ連館。」にススっと入って行けた。


「うわぁソ連館にまさか入れるなんて...。」中の展
示は鮮明に思い出せないけど天井がやたら高か
ったのが印象に残る。


小学生の私は殆どの万博情報を少年マガジン、
サンデー等の少年誌から得ていた。


全ての少年誌を買ってもらえた訳でもなく多分
友人の家か立ち読みしていたのだと思う。


大人になり、その多くを入手し読み返してみると
毎号どこかの誌で何かしら特集されており大人
向け雑誌よりも詳細に書かれていて当時、夢中
になって読んでいたのもうなずける。


ソ連館入口付近で丸いバッジを貰った。確かに
少年誌には多くのパビリオンでは無料でバッジを
配っていると書いてあった。


何時に配るなんて書いてあったパビリオンもあった
けど、貰うなんて無理だと思っていた。


現在、私の手元には大阪万博パビリオンのバッジが
幾つかある。それらは近年になって入手したものだ。


このソ連館のバッジだけが当時の会場で貰った唯一
のもの。

子供だったけど明らかに日本のものとは違うデザイ
ンを感じた。


近年、レーニンの横顔がデザインされたバッジも配
っていた事を知る。


日本人が何の気なしに付けたソ連社会主義の象
徴、レーニンのバッジ。


今考えると結構凄い事なのではないだろうか?



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