小田原建築探偵   
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小田原万博探偵補足〜日本館1


「日本館」太く堂々としたこの文字は全国小中
学校児童生徒より公募した最優秀作だそうだ。
上手い。


この章は 2008年7月 ポルトガル館の遺跡を
探しに種子島に向う船の中を書いたブログを再編
しながら始まる。


退屈な船内では、小学生の頃通っていた習字教室
での出来事を思い出しながらまどろんでいた。


前回のブログ内のシンガポール館補足の焼き直しの
様になってしまうが、知っている人の中で万博一番
乗りをしたのが、この教室のおじいさん先生だった。


次の教室で先生は生徒を集め、買ってきたお土産を机
に広げ、万博の話をしてくれた。その話を、わくわくしな
がら訊いていた。


日本館の文字は全国小中学校児童生徒より公募した
最優秀作だそうだ。凄く上手い。先生は日本館に行か
なかったのだろう。”日本館”の文字はその日のお手
本とはならなかった。


もしあの文字を見ていたら「君達なぁ、君らと同じ年代で
ここまで書けるんだ。自分の国の名前くらい上手く書け
る様、もっと練習しなさい。」


「今日はこの”日本館”と言う文字を練習します。お手本は
先生の大切な記念品だから墨で汚さないように」と日本館
のパンフレットをビニールに入れて渡された事だろう。


「○○君(私の事)もなぁ、犬って字だけ上手く書けてもても
駄目だぞ。」


当時私が唯一上手く書けた文字、それが”犬”と言う文字だ
った。大の右上の微妙な位置に点を書くのが得意だった。
にも係わらず”太い”の点は良い位置に着地させる事が出
来なかった。


「”犬”だけだったら級をあげてやってもいいんだが...」
良く言われたものだ。


当時習った習字の技能は現在何も残っておらず..と言う
か何も習得出来なかったのだろう。冠婚葬祭で記帳す
る度にスラスラと書ける人に憧れる。


あれから38年、当時の御年齢から考えると先生はもう
天国におられるかも知れない。


あの時、先生が万博で買ってきて皆に自慢した万博
土産は今でも先生の家に残っているのだろうか?





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