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 小田原建築探偵〜小田原百景      
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5.小田原駅駅舎解体〜6  

小田原市のシンボルである現在の
小田原城の歴史は僅か40年と少
し。1870年に廃城になり1960
年に復興したのが現在の建物だ。

さて、その倍の歴史を持つ小田原
駅駅舎の解体に反対運動や保存
運動はなかったのかと言うとそれ
らしきものはあった事はあった。

”幾多の困難を乗り越え悲願達成”
などと大きく取り上げられた連絡
通路建設の陰で駅舎解体の扱い
はあまりにも小さく、遅かった。何
か作為的な感じさえした。解体に
関しできるだけ触れない様に、触
れない様にといった感じがした。

通路建設=駅舎解体と考える人が
少なかったのではないのだろうか。
その為かは解らないが保存運動が
起こったのは02年。既に連絡通路
の工事は着工していた。

この時、小田原市は施主はJRなの
で一応交渉はしてみますといった
スタンスでJRは”工事を中断しても
良いが、その間の保証をして頂き
ます。”といった回答だった。
これでは、どうしようもない。

確か2000年くらい、初めて目に
した連絡通路の完成予想図に
駅舎らしきものを見つける事が
出来なかった。この時も駅舎解体
に関して何らコメントはなかった。
駅舎はどうなってしまうのですか?
解体するのは止めてくださいと言う
内容のメールを市長に送った。
返事はなかった。