小田原建築探偵 | |||
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闘いの宝物殿。アントニオ猪木偏1 | |||
スポーツ平和党 当時の新聞広告。 掲載は読売新聞 89.07.10。 この日付けを見て改めて時の経過に驚く。 そうか もう20年も経っているのか...。 この選挙ではミニ政党が乱立し、もう何が 何だか解らない程だった。その政党名も 真面目に考えられたのだろうが面白い ものも多数あった。 詳しくはWikipediaで”ミニ政党”を調べて 欲しい。 その面白い政党名も略すと更に面白い 名前となった。ちなみにスポーツ平和党 の略称は”スポ平(ヘイ)”となりサザエ さんの”波平”を連想させるものだった。 このミニ政党の乱立状態で何が何だか 解らない状態はメジャー無きインディー 乱立時代の現在のプロレス界にそっくり でもある。 出来ては消え、消えてはまた出来る プロレス団体。その全てを把握するのは 困難だ。 このスポーツ平和党のフォントは何気 に東スポのスポーツを少し太くした感じ。 猪木の夢を話す 猪木政見放送。 NEXT→ |