小田原建築探偵   
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別府湯煙旅情〜幻のビルマ館 万博遺跡 蟻地獄1


「ビルマ館 誰か見た人 いませんか?」
大阪万博ビルマ館の行方を確認する長い旅。
全てはこの新聞記事から始まった。

その日、私は図書館で1970年の新聞の凝縮版
をめくって大阪万博の記事を流し読みしていた。

新聞記事には当然の事ながら万博以外にも、同
時期に起こった事件や世相が出ていて興味深い。

当時の週刊誌の広告には、今と同じく芸能人の
ゴシップ記事が出ている。あの人は今?となって
しまった方や今でも現役で活躍されている方々
の思い出したくないであろう思い出が出てくる。

テレビのフレームは”木”が主流だ。約40年後
のテレビやテレビ界については記されていない。

まさか電話でテレビを見る事が出来る時代が
来ているなんて誰が想像しただろう。誰が電話
で写真が撮れるなんて予言しただろう。


万博の記事も毎日の様に掲載され、その日会場
で起こった出来事が沢山出ている。新聞の凝縮
版には後に発行された書籍には出てこない真実
?が載っている。


そんな万博終了後の10月の記事に見つけた
半年間の未来都市に生きたパビリオンの未来。

未来都市に出現したパビリオン。子供ながら
何故か寺院の形をしたパビリオンも好きだった。

公式記録にも載っていないパビリオンの未来。
それがラオス館とビルマ館だった。

その記事を頼りに訪れた長野県霧が峰。
幸運にも樹木の中にラオス館は残っていた。


さて...ビルマ館。ビルマ館は大分別府に移築。
宗教センターとなる。と記されている。


あるのか?ビルマ館。
あったのか?ビルマ館。
運ばれたのか?ビルマ館。

どうなんだ?ビ・ル・マ。

あの句を詠んだ時点で、既に30年以上が
経過。無くても不思議ではない。


詳細が知りたい。

別府市役所 観光協会等問合せしてみたが
返事はなしのつぶてだった。


話だけだったのか?ビルマ館。


長野ラオス館は片道4時間かかるとは言え
行って行けぬ距離ではなかった。しかしビル
マ館が移されたとされる地、それは九州大分。
そう簡単に行ける場所でもなかった。


話だけだったんだな...ビルマ館。そんな答え
を勝手に出していた。


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