人の目を盗んで
時代はずっと現在に近づく。シャパラルの空力翼は、その後のグラウンド・エフェクトの導火線となる。
シャパラルを生んだジム・ホールは、1970年に例の真空掃除機自動車を提案した。後の大きな二つのファンが
スカートの中を真空にして地面にへばり付く。言わばホバークラフトの上下を逆さにしたクルマである。
このクルマの場合は、送風器による負圧の合計は車重(900kg)に近いと言われ、コーナーでの横Gが1.89Gをマークした。
(当時の最新型、ローラT220は優秀だったが、横Gは1.45Gだった) しかしシャパラルは動力用とは別に、送風器用に
2ストロークの補助エンジンを備えていて、このアイデアは案の定、翌年に禁止になった。
F1界ではブラバムのコードン・マーレーが、1978年のスエーデンGPで再び真空掃除機を焼き直す。
Brabham BT-46B (1978年)
この場合も、真後ろにデンと座っている送風器が腹の下を負圧状態にする。補助エンジンは積まずに、
ミッションから送風器にパワーを分配した。シャパラルの前例を回避する逃げ口上が振るっていて
「エンジンの冷却を向上させるために大きめのファンを設けたが、余剰の吸引力が地面の空気にいくらか
影響しているだけ」というものだった。
しかしエンジンがアイドリングでも車体が沈んだのでピットクルーが車体の下に足の爪先を突っ込んで支えた
(秘密を隠した)そうだ。
このクルマは確かに速かった。事故を起こした事もない。しかし競合他者の嫉妬と憎しみを買った。
他チームが騒然となり、可動翼によるダウン・フォース獲得と見なされ、酷いブーイングの嵐に揉まれて
消えていった。
(Fulcrum 著)