四畳半の押し入れ
日本の文化に茶道があって、お茶室には四つんばいで入るのが習慣になっていても、四畳半で暮らすのは窮屈だ。
だから階段の下をトイレにしたり、たんすを埋め込んだり、吊り棚なんて物は探したところで今使っている家は無いだろう。
ドイツ人は大体からして大柄なのだから、日本人も驚くような、せせこましい暮らしは似合わない。しかし彼らの心情を
通すとなれば、「本題優先、後の事はこれに習うべし」 例外は無い。巻き舌と破裂音で唾を撒き散らしながら怒鳴ると
機械も肩をすくめて小さくなるのだろうか。
53度のスラント・マウントや、噴射ポンプを筆頭に、あらゆる補器類をエンジンの上に重ねた事をを見ても、正しく「性能、
性能、また性能」。ちょっと、これ壊れないの? ホンダもインボート・サスをカウルに包んで後で泣いたが、このクルマの
「おもり」が如何に大変だったと言えば、1気筒当たり2つ有るプラグ交換である。戦争が始まって以降、ポリスチレンや
合成ゴムが開発されたとは言え、絶縁材料にましな物が無く、戦前はベークライトや硬質ゴム、エボナイト、もしくは雲母を
使用していた。電気系統の故障と言えば漏電なのだが、犯人は湿気と温度のお陰で劣化する絶縁材であった。
つまりプラグ交換とは始業前点検の延長だった。プラグが有る位置というのがスロットルから伸びるインダクション・ボックスの
下になるので、特殊工具が必要な上に、右前の車輪を外さないと手が入らなかった。その上、プラグの真下が排気管と
なると、焼けどをせずに手を伸ばすのは至難の業だった。
下の写真がコクピットだが、前に鎮座ますエンジンにはクランク・シャフトの他にドライブ・シャフトが有り、それが寝ていると
来たもんだ。 お陰でクラッチ・ペダルが人里離れた左の端に有る。だからガニ股開いて運転する事になる。
それにエンジン・ルームにあぶれたサービス・リッドがコクピットにひしめいている。
面白いのは、トランス・ミッションがデフと一体にになって、椅子の後、燃量タンクの下に有る点で、このお陰で椅子が
低い位置に配置できた。
当時、軽量で持てはやされた鋼管フレームだが、剛性を考えると、なんとも心もとない気がするのは、筆者だけだろうか?
(Fulcrum 著)